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プロフィール

児玉 崇 - こだま たかし

代表取締役社長 最高経営責任者
(兼 Asianux Corporation 取締役副社長)

会社に入り、最初のOSは、SunOS3.5+SunView。UUCPでE-MAILを接続してました。ちなみに、Sunから、Nifty-Serveもしてましたね。(懐かしい)
当時オープンソースという言葉はありませんでしたが、ソースが公開されて、自由に使えるソフトウェアは、UNIXではたくさんあり、それが普通でした。

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シリコンバレーの百年

一昨日に続いて、昨日は、シリコンバレーの百年を見ました。
感想としては、なぜシリコンバレーの風土ができ、そこからオープンソースやフリーソフトウェアが生まれたのかがよく理解できました。

この番組の中では、20世紀の最後の25年(1975年~2000年)に起きたことは、技術ルネッサンス時代にあたるというとらえ方をしています。また、歴史の中では、農業革命、産業革命に続き、電子革命として、歴史にその名を残すことになるだろうとも予測しています。

現在のシリコンバレーの中心地であるサンタクララは、1950年代半ばまでは、果樹園が広がる農地だったそうです。確かにあのあたりは、気候よく果物を育てるには、良い土地だと思います。プルーンがその中でも有名だったそうです。

今のシリコンバレーが出来る重要なキーワードは、スタンフォード大学になります。この大学は、リーランド・スタンフォード氏が、その息子リーランド・スタンフォード・Jrの死を悼み、1891年に建設されたものです。確かにスタンフォード大学の中央口の近くにある碑には、そのようなことが書かれているのを以前、スタンフォード大学に行ったときにみました。そのため、大学の正式名称は、Leland Stanford Junior Universityとなっています。

スタンフォード大学の哲学は、その初代総長であるジョーダン氏の影響が大きいと感じました。総長は、「アイディアがあれば、それを研究して、世に送り出すべきた」と考えていたようで、大学から起業して、企業を興すというのを奨励していたようです。これをインキュベーション(孵化)と呼んでいたようで、昨今は、日本でもよく使われるようになりましたが、もう100年前から、このシリコンバレーでは、そういうことが言われていたのですね。

1930年頃から、電子企業がパルアルト(スタンフォード大学の近くです)に出来てきて、さらにスタンフォード大学は企業との結びつきや誘致を斡旋するために、大学に隣接する土地を賃貸したようです。大学側は、土地を売却して、お金を得て、有名な教授を雇用したかったようですが、スタンフォード氏との契約に「土地は絶対に売却してはいけない」という項目があったようで、売却せずに、賃貸したらしいです。また、起業する学生には、銀行融資の交渉を支援したり、総長みずから、出資したりとかなりの支援を行っていたようです。

1940年頃から始まる第二次世界大戦にあわせて、電子機器の需要は増え、これらの企業は成長していくことになります。

1950年代になるとハイテク企業がシリコンバレーにどんどん進出してきます。IBMも1952年に研究所を設立し、ここで現在のハードディスクが開発されたとのことです。当初は、60インチのディスクだったそうです。そういや昔のホストのDASDは、大きかったナー。

1957年にインテルの創設者であるゴードン・ムーア氏とその仲間は、フェアチャイルド・セミコンダクター社を創設しています。(ちなみにこの会社は、日本支社もあります)このときには、半導体の権威であったショックレー博士のもとを8名で去り、この会社を興したために、博士からは、裏切り者と呼ばれていたそうです。その後、この会社の親会社であるファエチャイルド社と折り合いが付かず、インテルを創業することになります。

この頃から、研究者は、酒場に集まり、自分が抱える問題や成功した自慢話をしていたそうです。そこで、何人かが集まりある問題が解決すると次の問題というように、本来であれば、研究者の秘密にあたるようなことも話をして、共有し、解決し、新しいものを作って行くという風土があったそうです。

1972年にアタリ社がPONGというゲーム機を開発して、大アタリします。(このあたりは、WiKiPediaになる説明が詳細に書いてあります)1977年にワーナーがアタリ社を買収し、これがいわゆる、「起業して、会社を売却して、巨額の利益を得る」というパターンを作ったようです。それまでは、起業したら、会社と最後まで添い遂げるという考え方だったわけですね。

アップル社のジョブス氏は、アップル社を設立する前に、ブルーボックスなる違法で無料電話がかけられるBOXをウォズニアックと作って売っていたそうです。その後、アップルを創設するわけですね。この頃は、このように起業があいつぐわけですが、この時代の反体制運動というのが、コンピュータの業界にも影響があるようです。ホストコンピュータ(官僚主義) vs パーソナルコンピュータ(個人主義、自由)という構造ですね。また、会社に貢献するのではなくて、社会に貢献する。という考え方も起業のポイントのようです。ジョブスも当時はヒッピーに近い状況なわけで、そういう反骨精神もあっての起業なんでしょうね。

スタンフォード大学の思想、そして、研究者、そして、起業という流れの中で、今のシリコンバレーの風土が培われたことがよくわかります。

「自分の知識や所有物をオープンに与え、情報を共有する」これが、シリコンバレーの精神だそうです。。まさしくオープンソースの考え方ですね。ちなみにこの番組は、1999年制作であるために、まだオープンソースという言葉がまだ広まり始めた頃です。そういう意味では、オープンソースというのは、ある日突然あられたものではなく、シリコンバレーの風土が作り出した必然的な考え方であるのが分かります。

最後には、これから起業を行う人へのメッセージのように、オラクルのラリー・エリソンやSunのスコット・マクネリなどが出てきます。彼らは、起業当時、投資家から投資をうけられず何千ドルという自分たちだけの出資で会社を初めて、今の成功を築いています。一方、投資家に出資をうけた会社は、その社長は、当初から持分比率が低く、上場後も1%しか持分しか無いという状況だそうです。ですので、一概に、投資家からお金を集めて起業するのがよいのかどうも考え物ですね。

また、最後のインタビューで興味深かったのは、各CEOが面接する際に、これまでの最大の失敗について聞くことです。失敗を経験していない人間は、重圧に耐えられないとか失敗をしていない人間は、雇わないとか。日本の場合には、失敗をしている人間は、「雇わない」ケースが多いわけですが、シリコンバレーでは、「雇う」というスタンスなんですね。そういう意味でも「自分なりに努力して、失敗したら仕方がない。」という風土も生まれるのでしょうね。

また、途中のインタビューで、日本とシリコンバレーの違いを答えている部分があるのですが、、「日本は、会社を辞めて起業することができない。なぜなら、、日本にシリコンバレーが無いからである。」というコメントが私にはかなり意味深く響きました。

残念ながら、現在の日本は、ハーバード大学系のMBAの方々が起業して、一儲けしている状況で、若くして起業するということが少しずつ広まってきていますが、その受け皿がなかなか無い。スタンフォード大学を出て、起業したのは、ソフトバンクの孫さんぐらいしか私は知らないわけで。そういう意味では、日本のエンジニアの人たちが、起業できるようなスタンフォード大学的な流れがこれからは、必要かもしれませんね。

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コメント

Gyaoを見るためだけに悔しいけどWindowsを立ち上げるかなあ?(思案中)

くやしいけど、Windowsを立ち上げてGyaoを見てしまいました。
東京にもみんなと情報を共有して人材が流動化する場を作りたいと思ったしだいです。

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