盆栽とは、哲学の道なり
皆さんは、盆栽ってどういうものだを考えていますか?
私は、盆栽は、日本発祥のもので、世界にも有名な芸術ととらえていました。
実は、済州島には、世界一の盆栽園があったのです。
初日の会議が早く終わったので、中国と日本からの参加者の方々と地元のツーリストが一押しする盆栽パークに行って、盆栽の心を教わってきました。
盆栽は、中国が発祥で、韓国を通じて、日本に伝わり、日本の技術が素晴らしかったために、日本語発音である「BONSAI」として、世界共通語になっています。中国語、韓国語、日本語で、全て同じ漢字(正確には、中国語)を使っています。ただ、発音はそれぞれ異なり、韓国語では、「Bunjae」、中国語では、「Penzai」となります。
我々が訪問した場所は、「思索する庭園 盆栽芸術苑」であり、盆栽のこころがこのように書かれていました。
「盆栽は、事前を模倣したり縮小して置かれたものではありません。自然を素材にし、自然の順理に従いながら育てる、人の美的感覚と個性を発揮し、本来の自然より一層美しい自然を作り出すことです。ですから盆栽は、自然の教えを受け、人間の心と生き方を自然へと導いていくための求道的行為だと言えるのです。」この「求道的行為」というのが素晴らしいですね。
ここで働いている方に盆栽について説明をしてもらいましたが、人の生き方と盆栽の育成の仕方が結びついており、30歳ぐらいの女性の方の顔は、毎日自然と対話しているか、非常に穏やかな顔をされていました。(写真の置くに見える帽子をかぶった女性です)
私より、年下の方に人生とはと言うことを諭されていたわけですが、なぜか素直に聞けてしまうところが凄いです。やはり人徳というのは、盆栽と同じで長年をかけて使われるわけですが、自然界の身を任せているとこのような穏やかになるのかと思いました。毎日ギスギス働いて私とはえらい違いだなとまじまじと感じました。
この盆栽パークは、2000年頃に経営が危うくなり、オーナは手放すことを考えたそうです。オーナが誰であろうと、盆栽の心は変わらないという信条だったそうです。それを聞いた韓国人の人々は、この盆栽パークを守るために、たくさんの人が寄付をし、経営を維持してきたそうです。日本ではなかなか無いことですが、韓国の人々の儒教的な素晴らしを感じる事象ですね。
最後にたまたまいらしたオーナから盆栽の心を教えてもらいました。
オーナは、いかにも自然を愛するという感じの人で、この盆栽苑を作った当時の1968年には、電気も水道もなく、いちからこの庭園を造ったそうです。人里はなれたこの場所であれば、自然と対話しながら、盆栽を作れるということだったそうです。
この盆栽苑には、中曽根元首相や江沢民も来園しており、世界のリーダの中でも徐々に有名になっているらしいです。
設立当初は、地元の人からは、そんなもんでどうやって食べていくのかとか、変人扱いをされたそうですが、自分の信念を貫き通し、盆栽と毎日、心ゆくまで対話できる環境を作り出し訳です。初心貫徹です。素晴らしいですね。
盆栽から哲学を学ぶことができるというのが、今回驚いたことですね。ちなみに盆栽は、かがんで下から見るのが正しい鑑賞の方法だそうです。




かつて、盆栽が世界で認められ賞賛されるようになりまでは、韓国では「日本人の縮み趣味」といって馬鹿にしていました。
日本のあらゆる文化が世界で認知されると、途端に起源を主張しだし、自分達が日本に教えたのだと世界中に向けて吹聴しだすのが韓国人です。
よくお調べになってから書かれたほうがいいですよ。
投稿: おばさん | 2006年10月29日 (日) 03:12
>>おばさん
そういうこともあったのですか。
まあでも、韓国から伝わった(という言い伝え)ということが話の主旨ではないですから、その反論はどうでもイイといえばそれまででしょうね。
盆栽に対する「心」という点でアジアを知るには面白いお話だと思いますよ。
投稿: kh | 2006年11月24日 (金) 12:37