Linux World Expo/Tokyo基調講演「OSS進化論」
Linux Worldで基調講演をする。いまだにプレゼンテーション資料が出来上がっていない。(とほほ)
下記のようなお話をするつもりだ。ひょっとしたらがらっと変えるかもしれないけれど、コメントやトラックバック頂ければ嬉しいです。
OSSが登場して8年、Linuxが登場して15年。GNUプロジェクトから約20年。
何が変わって何が変わらないのか。次の10年の解決すべき課題は何なのか?
GNUプロジェクトが発足した当時、インターネットはまだ一般的ではなかった。GNUの成果を入手するには配布手数料をFSFに送金して配布用テープ、そう当時はテープでソフトウェアは配布されていた、を入手するしかなかった。CD-ROMすら一般的ではなかった。
LinuxがNetnewsで話題になっているころ、インターネットは学者、研究者のおもちゃであった。世界中にftpサイトはできつつあったが、インターネットにアクセスできるのは特権であった。ネットワークの僻地にいるものはネットワークの中心にいるものに再配布を頼まねばならなかった。フロッピーディスクを回覧板のようにコピーして配布したりした。
インターネットのいたるところにあるフリーのソフトウェアを集めてCD-ROMにパッケージ化し、それを商売とする人たちが登場したのが90年代の初めのころである。Linuxもその手のCD-ROMに採録されていた。そして単にソースコードを収録するのではなく、すぐに実行可能なバイナリとインストーラを同梱したCD-ROMが登場した。それがLinuxディストリビューションの登場である。90年代中ごろである。
インターネットの勃興とXMosaic
初期のフリーソフトウェアは間違いなくマニアのマニアによるマニアのためのソフトウェアであった。
フリーソフトウェアを中心としたビジネスモデルは離陸していなかった。ソフトウェアの改良は同じ大学の学科や研究室というような地域的なコミュニティに限定されていて、地球規模の自立的なコラボレーションが発生するまでにはもう少しの時間が必要であった。
WWWは80年代末に登場したがそれが爆発したのはXMosaicというGUI型のブラウザの登場とインターネットの普及による。
93年の春、NCSAのMarc Andreessen らによるXMosaicはインターネットの利用を劇的に変えた。XMosaicはソースコードが公開されていたので、腕に覚えのあるハッカーたちがいろいろな改良を加えた。日本でも富士通の渡辺らがいち早く日本語対応のパッチを作成し、インターネットで公開した。NTTの高田らは、そのようなパッチを集めて、再配布した。当時、高田はinfotalkというメーリングリストを主宰していて、インターネットの利用技術、例えばWWWなど、について活発に議論する場を提供していた。
当時、わたしは米国系コンピュータハードウェアベンダー(いまはなきDECという会社だ)の研究開発部門にいて自由にインターネットを利用できる特権的な立場にいた。高田が再配布している日本語化パッチを、当時日々使っていたVAX/VMSのワークステーションに移植し利用した。パッチの移植は土日に会社に出てきてやった。
わたしは日本語化のパッチが実際に会ったことも話したこともない連中を中心にあれよあれよというまに出来上がっていく不思議な経験を生まれて初めてした。後にバザールモデルによるソフトウェア開発として知られるものであった。
そしてVMS用のインストーラを作り、社内で公開したところ、文字通りあっというまに燎原を焼き尽くす野火のごとくそれがインストールされていった。簡単にインストールできそしてソフトウェアの魅力さえあればソフトウェアは自然と広まる。それを体験した。
Netscapeの決断とOSSの登場
98年米国Netscape社そのウェブブラウザのソースコードを無償で公開した。OSSと呼ばれるパラダイムを世界で初めて実行したものであった。
従来のフリーソフトウェアとオープンソースソフトウェアの違いは何か?わたしは下記の3つで特徴つけられると思う。
- OSSはマーケティングである
- バザールモデルを前提としている。そのためにブロードバンドインターネット前提
- 善意のコミュニティの信頼している
リチャードストールマンによって提唱されたフリーソフトウェアとOSSはソフトウェアのライセンスという意味で言うと、ともに、ソフトウェアの利用、変更、再配布を保証するという観点で差異はない。
ライセンスから言えばOSSはフリーソフトウェアを包含すると言ってもいい。
OSSはマーケティング運動であった。フリーソフトウェアはリチャードストールマンが醸し出す反商業的なイメージを持っていた。エリックレイモンドらは、フリーソフトウェアの反商業的なイメージを払拭し、ビジネスで利用できるようにしたかった。マーケティングには新しい名前を必要とした。それがOSSである。
ソフトウェア開発モデルとしての革新性(革命性と言ってもいい)はバザールモデルにつきる。
リチャードストールマンは、ネットワークの向こう側にいる人間を必ずしも信用していなかった。それが彼をGPLというライセンスを発明させる動機になったわけであるが、FSFが開発しているソフトウェア(例えばemacsというエディタなど)に改良をして、その改良を取り込んでもらうようにするためには、著作権をFSFに譲渡する書類にサインを求められる。
同じGPLというライセンスを持つLinuxは、そのような面倒な手続きを経なくても、Linusが必要と思ったものが取り込まれる。世界中の人々がよってたかって勝手に改良を続けていく。OSSではインターネットの向こう側にいる人間に対する信頼がベースにある。
FSFのような組織によって管理されるアプローチを、エリックレイモンドは伽藍(大聖堂)型ソフトウェア開発と呼び、Linuxのようなコミュニティによってどんどん改良されるアプローチをバザール型ソフトウェア開発と呼んだ。
バザールが発生するには、ブロードバンドインターネットおよび善意のコミュニティへの信頼を必要とする。
このバザール型ソフトウェア開発の革新性に米国Netscape社は気づきそれを利用しようとしたが、プロジェクトが成功する前に会社はAOLに売却されてしまった。
しかし98年はビジネス界がOSSを発見した年でもあった。OracleがLinux版を発表し、IBMがApacheのサポートを表明、IntelがRed Hatに出資をするなど、OSSとビジネスの接点ができた年だった。
ブロードバンドとコミュニティの発生
Netscapeのソースコードが公開された時、ブロードバンドのインターネットは一般的ではなかった。わたしも28.8Kbpsのモデムで2時間半かけて10数MBのソースコードをダウンロードした。たかがソースコードを入手するのに2時間半もかかるようではわたしのような物好き以外誰がダウンロードするのだ。
最近のブロードバンド(ADSLでも光でも)だったら数分もかからないであろう。
多くの開発者を得るためにはブロードバンドインターネットが必要だった。
そして、善意のコミュニティを前提としている。
コミュニティによって、ソフトウェアの不具合は発見され、修正され、機能が追加されていく。そこには、中央集中的な管理組織や長期的なロードマップはないし、プロダクトマネージャもいない。予算や人員のアサインなんていう概念すらないように思える。従来のソフトウェア工学ではうまくいくわけがないと考えられていた方法によってソフトウェアが進化し続ける。
専門家の常識、理解を超えた開発モデルである。
しかし、ここにある現実として、バザールモデルによってすばらしいソフトウェアが開発されているのも事実である。
そして、この次の10年OSSがどのように発展していくか、基調講演で議論していきたいと思う。




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