シリコンバレー精神
「ウェブ進化論」でおなじみの梅田望夫による「シリコンバレーは私をどう変えたか」の改題、文庫化したのが本書である。「シリコンバレー精神」が96年から2001年ごろの5年間、「ウェブ進化論」はその後という感じである。梅田望夫の原点がこの本にある。うれしいことに著者自らによる文庫本新規書き下ろしのあとがきが本書のインサイドストーリを解説している。
自らが書いたものを自らが解説すると言うのは究極の解説である。文庫本の解説と言うの無駄極まりない盲腸のような存在であって無駄がゆえにヨタ話としては非常に面白かったりするが、おめーはそれを見たのかよというような突込みを入れたくなるようなアバウトな解説もあったりして玉石混合である。
しかし、「シリコンバレー精神で本書を書いた」なんていうのは本人以外わかりようがないし、その後のエピソードなんていうのも本人だからこそ書けることである。新規書下ろし60枚のあとがきは間違いなくお勧めであり梅田望夫ファンには「ウェブ進化論」を解題する上で格好なテキストとなっている。
それはともかくシリコンバレーをシリコンバレーとして特徴付けていることを一つだけあげるとしたらそれは何か?5年前に本書を読んで、わたし自身も90年代当事者として生活した経験を持つものとして感じることは、梅田の言う「シリコンバレーの凄いところは、ナードを搾取しなかったことにある」につきる。
失われた10年を取り戻すために日本は様々な制度改革を行い仕組みとしての直接金融だなんだというのを整備し会社法を引き合いに出すまでもなく器としての起業支援というのが整ったようにみえる。産業活性化のためにベンチャー支援だ~というお題目が聞こえてくる。まあ、ありがたいことである。
頭のいい人たちはシリコンバレーの仕組みのコピーにうつつを抜かしているのだが成功したと言う話は聞かない。もちろんそれは半分は成功した。仕組みとしての直接金融とかベンチャーキャピタルとか株式上場とかの環境は整備されている。その意味で半分は成功した。もう半分のシリコンバレーを支配する精神について日本と言う地域で再現可能なのだろうか?
それを考えたい。
日本では文系理系という枠組みがあって政府の仕組みやら政治経済の多くはいわゆる文系が支配している構造になっている。ごく例外的に理系的な人々が重宝がられる分野があるが通常は文系のほうが(生涯)賃金も高いことが知られている。最近でこそ特許料にまつわる裁判などで理系が生み出した価値について再評価が行なわれているがまだまだ例外的である。
価値を生み出すのは人間である。コンピュータや機械が自動的に価値を生み出すわけではない。文系とか理系とか関係なく人間が価値を生み出す。ソフトウェアという得体の知れないものをあやつってそれに本能的とも思えるほどの才能を発揮するものを梅田は「ナード」と呼んでいるが、シリコンバレーの凄みはそのナードを搾取しなかったことにある。そして徹底的に彼らが価値を創造する環境を整えた。
プロフェッショナルとして成長していくためのコミュニティ、大学を始めとする智の実験場、人材の流動性、人材評価システム。そこぬけの楽観性。
梅田はオープンソースの未解決な問題を7つあげた後、次のように書く。
「これらに共通する本質的課題は、ナード世界とビジネス世界の新しい関係の構築にある。そしてそのためには『ナードたちはなぜプログラムを書くのか』という哲学的問いに答える努力をしていかなければならないのだ。
しかしその問いに対する答えを、日本で考えることはできない。なぜなら日本社会や日本企業は、ナードの価値を全く理解せず、ナードを大切にしてこなかったし、今も大切にしていないからである」(ナードの価値、186ページ)
99年に日本に戻ってきてひょんなことからミラクル・リナックスの創業に関わった。そしてその時来わたし自身への宿題は、日本という地域でシリコンバレー的な精神を再現することは可能なのだろうかという問いかけである。まだ結論は出ていない。しかしインターネットとオープンソースという潮流はそれを可能にするとわたしは考えている。もちろん一社だけでできることは限られているが少しずつ仲間を増やしナードの価値を理解し大切にする社会を作りたいと考えている。




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