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プロフィール

吉岡 弘隆 - よしおか ひろたか

日本OSS推進フォーラム ステアリングコミッティ委員
OSDL Board of Directorsを歴任
カーネル読書会主宰

2000年6月、ミラクル・リナックスの創業に参加。
95年~98年、米国OracleにてOracle RDBMSの開発をおこなっていた。
98年にNetscapeのソースコード公開(Mozilla)に衝撃をうけ、オープンソースの世界に飛びこみ、ついには会社も立ち上げてしまう。
2008年6月取締役CTOを退任し一プログラマとなった。

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ミラクル・リナックスのブログ

ミラクルぶろぐアクセス傾向/拓かれた世界へ向かってにあるように、弊社のブログではブログ執筆チームを作って、そのページビューをきそっている。アクセス順位も公開しちゃったりしている。shiro3が適度にあおって競争を促進するという作戦である。しかもトップのグループにはニンジンも用意していたりする。いまの所、わたしがアクセス数トップなのであるが更新頻度が減っているのと内容のかたよりで徐々にアジアのペンギン(http://blog.miraclelinux.com/asianpen/)に差をつめられているという状況である。

最初の3ヶ月間はハンディキャップ戦という事でニンジンにはありつけないのであるが、4ヶ月後(来年の2月のページビュー数かな?)からはガチンコ勝負になるのでわたしも焼肉を目指してがんばろうと思う。

それはともかく、執筆陣(各チーム7〜8人)が多いと話題もバラエティに富むし、更新頻度もキープできるので何かと有利かと思うが、それでも各チーム微妙にカラーがでてきて興味につきない。

まあ企業ブログなんつーのは、所詮宣伝なんでしょ、とかいう斜にかまえた考えもあるし、日本では実名ブログは流行らないという伝説(?)もあると思うけど、それでもある程度、長い事、情報発信をしていけば、そこには書く人達の人間があらわれてくると思う。

会社の文化や雰囲気である。

Web 2.0系の会社ほど「変な会社」(ホメ言葉)ではないかもしれないけど、日本の大企業ほどは硬直化もしていないと思ったりするのだが、読者諸氏はどのように感じているのだろうか?

ウェブ人間論


「ウェブ人間論」はベストセラー「ウェブ進化論」の著者梅田望夫と芥川賞作家平野啓一郎の対談である。

「君、平岡の所へ行ってね、せんだっての手紙は御覧になりましたか。御覧になったら、御返事を願いますって、返事を聞いて来てくれたまへ」と頼んだ。

夏目漱石「それから」273頁(角川文庫)

「それから」の主人公「代助」は書生の門野に友人平岡に出した手紙の返事を聞くために使いに出す。今から約100年前のコミュニケーションの手段は手紙であったが、それの確認に「書生」を使いに出す。

なるほど、コミュニケーションの手段は変った。人間のいとなみはネットによってどれだけ変化したのか。変化しうるのか。対談はそれに対する回答を試みようと行われた。

例えば文学者(平野)が本能的までに著作権についてナイーブな意見を表明し、コンサルタント(梅田)が近未来では紙の形式の本がなくならないだろうという見解を表明する。技術を過大評価すると文学者になり、そうでないとコンサルタントの意見に収斂するとわたしは思う。ラッダイトが機械を打ち壊したように文学者はテクノロジを恐れいななく。

『「ウェブ進化」によって、今、世の中はどう変わりつつあるのか、そして、人間そのものがどう変わりつつあるのかということへの素直な関心があったからである。』と平野ははじめにで記している。「ウェブ進化」によって人間そのものが変わりつつあるというナイーブなまでの前提がそこにはある。

なるほど、日々の生活という意味での変化は激しい。ビジネスもライフスタイルも劇的に変化したであろう。しかし、人間が人間であるということ、わたしがわたしであり、あなたがあなたであるというありようが、たかが一つのテクノロジでそれほど劇的に変容しうるのか?その前提に対する疑問は残念ながら平野の設問からは見えてこない。

100年まえメールもインターネットも存在しなく、電話ですら市民には一般的でなかった時代においてのコミュニケーションの手段は劇的に変容したことは疑いない。しかし、人が人として生きるとき、誰かを好きになり、誰かを傷つけ、誰かに依存するという人間としてのありようにどれほどテクノロジは影響を与えたのか?

「それから」の主人公代助は現代にもいるし100年前にもいた。

「ウェブ進化論」が今まさにインターネットに起こっていることについてテクノロジーないしビジネスの観点からコンサルタントとしての梅田が渾身の一撃をみまったものとすれば、「ウェブ人間論」はそのテクノロジが人間にどのような影響を与えうるかという設問に対する議論という形になっている。

作家は文学という道具を使ってそれに対する回答を提示することを試みる。

オープンソース思想というものを外延しようとするが、そこの本質まで残念ながら踏み込めていない。人間を深く理解しない限り、「ハッカーはなぜプログラムを書くのか」を理解することは難しい。インターネットが可能にしたことは、世界中のハッカーを結線したことであるが、「ハッカーがなぜプログラムを書くか」という動機に対して、インターネットが果たした役割はあまりに小さい。ハッカーが活躍する場をインターネットが提供したことは紛れもない事実ではあるが、「なぜプログラムを書くか」という問いに対する答えは見出せない。

プログラマはプログラムという道具を使ってそれに対する回答を試みる。

人間がそれほど急激に変容しないのであれば、「シリコンバレー的なるもの」を日本という地域に移植するのは困難を極めるであろう。一方で平野が想像するようにウェブがそれほどまでに人間に変容を要求するのであれば、それはわたしが想像する以上に簡単なのではないかと思う。

しかしそれに対する回答をわたし自身もまだ十分納得する形で整理しきれていない。

ハッカー・エシックスが日本で過小評価されているという状況が少しでも変わりうるのならば、「僕は、リアル社会の中にも、彼らが生きていきやすい場所を、日本でも作りたいと思っているんですよ。そのほうがリアル社会でもハッピーになれて、しかも才能を発揮出来る人が山ほどいるはずですからね。」(196頁)ということの可能性は十分あると思う。

ミラクル・リナックスという会社を作ったわたしのそもそもの動機は、そのような価値観を大事にする会社を作りたかったのである。そしてそれを社会に認めさせビジネスとして継続するという実験をしてみたかったからである。

わたしはその意味で半分楽観し半分悲観している。インターネットやオープンソースはそれを後押ししてくれるのではないかという期待感が半分、人間のありようはそう簡単には変容しないのではないかという感覚が半分なのである。

オープンソースの思想は、2001年頃、梅田が記したように「資本主義に飲み込まれた」というほどヤワではなかった。しかし、日本という地域でその思想が十分理解されていないというのも厳然たる事実である。微力ながら、ビジネスと言う方法論を使いつつ焦らず慌てず淡々と理解者を増やしていくしかないというのがわたしの現時点での立場である。

シリコンバレー精神・ユメのチカラ
http://blog.miraclelinux.com/yume/2006/08/post_a196.html

ちなみに新潮文庫版や岩波文庫版ではなく、角川文庫版を選んだのは本屋で立ち読みをして、比較検討したからである。テキストという意味であれば青空文庫で全文を読むことができるが、文庫本の手軽さにはかなわない。


『ウェブ人間論』、ついに刊行!!/平野啓一郎公式ブログ

http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20061214/1166084120

日中韓でのコミュニケーションの問題

ブログもすっかり間が空いてしまった。この3週間で、国内出張1回、海外出張2回でへろへろである。

先日の福岡での第5回北東アジアOSS推進フォーラムの話題は烏龍の旅拓かれた世界へ向かってで紹介されているので詳しくはそちらを参照いただく事にして、その他のお話。

福岡でラーメンに舌つづみを打ちつつへべれけになるまで呑んだ人多数という感じであろう。

わたし自身は北東アジアOSS推進フォーラムのWG1(ワーキンググループ1)に所属しているので日中韓に多くの知り合い友人ができた。

昼間は朝から晩まで会議、夕食という流れになるのだが、最初はぎこちない空気でも何度か会議を重ね酒を組み交すうちにだんだん打ち解けてくる。全員英語が母国語じゃないので片言なのであるが、それでも一生懸命相手の言わんとしている事を理解しようとする。なかなか通じないのであるが、言い方を変えたり、身振り手振、ホワイトボードを利用しての図解など双方熱がこもる。

この英語でのコミュニケーションというのが日中韓でのコラボレーションでのキーポイントとなる。仮に日中あるいは日韓、中韓の通訳をいれたとするとそれだけで3倍の時間がかかるし、それ以上の問題が発生する。

母国語で話すと、どうしても微妙な言いまわしになるので、例えば「検討する」とか「持ち帰える」とか「落しどころ」とか、まあさまざまなニュアンスの言葉を駆使してしまうので、相手にそれがどのように伝わっているか確認できなかったりする。母国語で言うと相手が理解していまいがいようが伝えた気になってしまって、実は全然理解していないという事に後になって気がつくという危険性がある。

英語の場合は難しい事をそもそも言えないので言い方が極めてストレートになって、分らない時は躊躇なく「execuse me, I don't understand it」とか「Do I answer your Question?」とか聞ける。相手も相手でわたしたちが理解できていないと手を返え品を返え、表現を返え、同じ事を説明する。

したがって、双方、理解できていない事が積み残されにくい。一見時間がかかるように思えるメソッドなのであるが実は直線なのである。これは日中韓共同プロジェクトAsianuxでの経験および今回の北東アジアOSS推進フォーラムでの経験にもとづく実感である。

日本語だと、あまりにストレートで失礼な言い方かなあと思えることも英語だとそれしか言いようがないので双方理解した上で使ってしまえる。結果として母国語+通訳というスタイルよりも英語でやるほうが相互理解が深まったりするのである。

とは言うものの最低限の英語力はもちろん必要なのであるが、それは訓練というか場数を踏んでいくしかない。

食事の場とかではやはり片言でも現地語(例えば中国語、韓国語)での挨拶くらいはできると場が和む。今回ご一緒したRHのTさんなどは韓国語がペラペラで「〜いむにだ」「〜はせよ」とか言いながら場を盛り上げていた。

日中韓の共通の話題を宴会の場でみつけるのはそれはそれで難しいのであるが先日はアニメとマンガがどうだこうだという話を中国人の若いエンジニアがふってきた。わたしは全くそっち方面にうといのであって、今後は中国ではやっているアニメの話題くらいは仕入れていかなければいけないなと反省した次第である。

新卒で入社した会社の英語の教師がやたら日本文化に造詣が深く、黒澤の「羅生門」におけるなんちゃらがどうしたこーしたとか、いろいろ聞かれたのであるが、わたしはまったくチンプンカンプンで、実は全く日本文化というものを知らないということを実感した事を思いだした。

昔は黒澤、今はアニメというのが日本を代表する文化という事なのだろうか。

烏龍の旅

第五回北東アジアOSS推進フォーラム(第一日目)
http://blog.miraclelinux.com/asianux/2006/11/oss_9f09.html

韓国におけるAsianuxのビジネス
http://blog.miraclelinux.com/asianux/2006/11/asianux_7850.html

第五回北東アジアOSS推進フォーラム(第二日目)
http://blog.miraclelinux.com/asianux/2006/11/oss_4b40.html

第五回北東アジアOSS推進フォーラム(番外編)
http://blog.miraclelinux.com/asianux/2006/11/oss_5ece.html

黒川温泉にいきました。
http://blog.miraclelinux.com/asianux/2006/12/post_d94a.html


拓かれた世界へ向かって

第五回北東アジア推進フォーラム参加
http://blog.miraclelinux.com/dora/2006/11/post_a4a0.html

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