価値創造の方法論
技術は会社のものではない。みんなのものだ。なんて事を言うものだから、よしおかさんには「カネの匂いがしない」などと言われてしまう。
企業戦略として知的財産権をトッププラオリティにして経営をするというのは、まことに理にかなっているし、それを否定するものでもない。
他社との差別化戦略で、他社に容易にまねできないものを持つという意味で、知的財産権をそのよりどころにするのは間違ってはいない。
一方で特許をはじめとする知的財産権というのは、新しい価値を創造することに対するインセンティブをあたえる事によって、大げさに言えば、人類の幸福に寄与することを目的としている。
特許法『第一条(目的)この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もつて産業の発達に寄与することを目的とする。』
著作権法『第一条(目的) この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。』
基本的な考え方は、価値を創造した者に特別の権利(例えば、一定期間独占的な権利)をあたえる代りに、それを公開させ文化、産業の発展に寄与することを目的としている。
公開して皆で利用すれば皆ハッピーという世界観である。
価値を創造するには経済的なコストがかかるので、ある一定期間独占的な権利をみとめ、そのコストを回収する機会をあたえようという考えだ。
さて、問題はこの独占的な権利というのをどのくらい認めた時、最も多くの価値が創造され皆が便益を得られるのか。そのベストな解というのは、どこらへんにあるのかということである。
独占的な権利というのが全くないという状況では、新しい価値を生み出すインセンティブがほどんどないので、誰も価値を創造しない(かもしれない)。一方で、独占的な権利が永遠に続くと、その価値を利用するのに高いコストがかかるので、やっぱり、利用が促進されづ、誰も得をしない。その中間のどこかに最良のポイントがあるはずである。
オープンソースの考え方は、独占的な権利というのを極限まで減らして、皆で共有する時に最も効率のよい価値創造が行なわれるというものである。
多くの商用ソフトウェアは180度反対で、独占的な権利でそのソフトウェアを守る。経済的な利益を得ることによって価値創造を持続させるという考えだ。
独占的な権利がなくて誰が価値を創造するのか?皆がそう思った。わたしもそう思った。汗水たらしてソフトウェアを作って、その資金をどう回収するのか。それは独占的な権利がなくてはできないではないか?誰もがそう思った。わたしもそう思った。
情報を公開する。おしげもなく価値を共有する。そうすると価値が自然発生的に拡大再生産する。
そんな事がありえるのか?誰もがそう思った。わたしもそう思った。
しかし、Linuxをはじめとするオープンソースソフトウェアは、その常識をいとも簡単にくつがえした。
われわれはそれをソフトウェア開発におけるバザールモデルと言うが、そのような奇跡がいままさに行なわれているのである。
ソフトウェア開発においてはバザールモデルが再現可能なモデルであるという認識が広がりつつあるが、それ以外の工業製品において同様な開発モデルがありえるのかは、今だに結論は出ていない。
しかし、情報を公開し共有するという開発スタイルに未来を見いだすのは、わたしだけではないと思う。




初めてコメントします。オープンソースパーティ2007では前に座らせていただきました。
権利を独占ではなく、公開することで価値を拡大再生産している例があります。それは日本のアニメ及びマンガだと私は考えています。どういうことかといいますと、アニメのキャラクターなどの著作物をファンに対しては実質無償で公開して自由に使わせていることです。まあ、端的に言ってしまえばコミケのような催しを支援しているのです。おかげでそこから多くのクリエータが育ったり、作品のファンが増えたりの相乗効果が起きてアニメ業界も利益を得ているのです。
著作権を独占しないで公開することで成功している例だと思います。
投稿: 半日庵 | 2007年6月 9日 (土) 16:29
半日庵さん、コメントありがとうございます。
コミケには行ったことがないのですが、微妙な共生関係があるようですね。
投稿: hyoshiok | 2007年6月18日 (月) 11:25