カーネル読書会のめざすもの
YLUG(横浜Linux Users Group)のカーネル読書会FAQページがあまりにも古いので更新しようと思ったのだが、どっから手をつけていいやら。
この手のFAQは個別のエントリに回答を重ねて更新する事はもちろん可能なのだが、ロードマップというかカーネル読書会をなぜ開催したいと思ったのかとか、なぜ続けているのかとか、どうしたいのか、とかいう明確な意志の表明なんかがあるといいかもしれないと思った。企業のビジョンステートメントみたいなものである。
おいおい、たかが趣味の世界でビジョンステートメントはいくらなんでもやりすぎだろう。大袈裟すぎやしないか、という声もある。そう思う人もすくなからづいそうだ。わたしもそう思わなくもない。
コミュニティ(?)のビジョンとかミッションというのは通常明文化されないし、されたためしも(ほとんど)ない。LinusのJust For Funという書籍は、ある意味その手のものかもしれないけど例外である。あ、StallmanのGNU Manifestというのがあるなあ。これは例外中の例外だ。
まあ、楽しいから続けていたら続いちゃったというのが本当のことであるが、どうせなら試しに、カーネル読書会にまつわる「よしおかの野望」を明示しておこうと思う。
わたしは、90年代中頃、シリコンバレーの大手データベースベンダーでRDBMS(リレーショナル・データベース管理システム)の開発をしていた。シリコンバレーのフリーペーパーには各種ユーザー会や勉強会の日程が載っていて、その量とバラエティに圧倒された。プログラマとしてプロフェッショナルな道を歩むために、ぜひその手の会合に出ようと思った。機会をみつけて参加したいと思った。たまたま参加した、SVLUG(Silicon Valley Linux Users Group)の活気、熱気には圧倒されたことを鮮明に覚えている。
会社の壁とか人種とか国籍とか性別とか年齢とか、そんなもの一切合切関係なく、ひとつのことについて自由に語りあっている場というのが、どんなにか素晴しいかというのを実感した。
99年に日本に帰ってきて、自分の生活圏にそーゆー場があったら素敵だなと思った。
これからはオープンソースでしょ。みたいなノリもあった。
自由命みたいなノリもあった。
自分が勤めている会社とは対極にあるムーブメントにしびれていたのである。
日本に帰って、たまたまYLUGというのを発見し、早速メーリングリストに参加した。特に会費も会則もないのが気にいった。時々宴会をしているらしい。楽しそうである。
そこで、カーネルのソースコードを読む宴会(?)というのを提案したところ、あれよあれよという間に参加者が集まって第一回のカーネル読書会が開催されたのである。
前半の勉強会形式のディスカッション、後半の宴会という黄金のパターンも第一回で確立された伝統芸みたいなものである。
当初は結構地味にソースコードを追っていたのであるが、何度もやるとさすがにあきるし、準備も大変なので、もちっとお気楽に行こうということで、お題提供者が適当にお題を披露する形式になった。
第8回から場所を渋谷マークシティのサンブリッジのセミナールームにうつしてそれが2001年末まで続き、その後天王町(保土が谷)OSDLジャパンの会議室で2004年にOSDLが引越すまでお世話になった。その後、固定した会場をもたない流浪の旅がはじまったのだが、NTTデータ、ミラクル・リナックス、日本SGI、日本HPなどおかりして開催し現在にいたる。
YLUG年表参照(http://www.ylug.jp/modules/pukiwiki/index.php?history)
時々出張か〜ねる読書会というのをやって新規参加者のリクルーティングをやっているのだが、なかなか思うように参加者が増えない。特に若い人と女子が少ないというのが構造的な問題だと認識している。やはり新規参加者が少ないとマンネリ化してしまうし刺激が少ない。
YLUG年表を見ると、よくもまあこんなにバラエティのあるお題を継続してやったなあと思う。発表者と参加者の皆様に心より感謝したいと思う。また会場を提供していただいた関係各位にも深く感謝したい。どうもありがとうございました。(ぺこり)
一つ一つの発表に思い出がつまっている。どれも大変楽しかったし、勉強になった。多くのことを学んだ。感謝につきない。そんなこんなで現在まで続いているのである。
と、ここまで書いていて、歴史を振り替えるところで力が尽きてしまって、「よしおかの野望」を記すまでには行かなかった。カーネル読書会のめざすところは次に記すことにする。(続く)




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