オープンソースは資本主義の破壊的イノベーションである
というフレーズを通勤電車で思いついたのだが、そのときは結構いけていると思ったのだが、今考えてみると、それほどいけていない。夢を見ている最中はすげーなこれと思っていて、次の日、目が覚めてみると一体どこがすごいのかと思うようなものである。
破壊的イノベーションは持続的(改良的)イノベーションとことなって、まるっきり新しい市場を開拓し、既存の支配者を駆逐する。あるいはローエンド市場から参入し、既存の支配者を市場から追い出す。みたいな事が教科書には書いてある。
オープンソース的な世界では、著作権を私有するのではなく、共有することによって価値をたかめる。著作権という財産権を否定しちゃったら資本主義ではないではないか、とか思うのがフリーソフトウェアの思想を最初に聞いたときの素朴な感想であったりする人は少なくない。
財は共有すると減る。お菓子をあげれば自分の分が減る。お金をあげれば自分の分が減る。ところが情報は共有しても減らない。価値も減らない。だったら私有することにどれだけ意味があるのか。むしろソフトウェアのようなものはみんなで利用した方が得ではないか。
実際、趣味で作ったプログラムなんかを公開して勝手に使ってもらうというのは昔からおこなわれていたことで、ちょっとしたツールなんかも普通に無料で流通していた。
企業がちょっとしたツールを製造、販売なんかしようとした日には、値段が高くなってしまって全然売れないか、値段を安くすればもうからないので、そのような市場は、企業にとっては全然魅力的ではない。無料ないしは廉価なソフトウェアの独壇場という感じになる。利用してもらうには、無料ないし廉価というのが必須であったりする。
シェアウェアのような一人のプログラマが趣味(?)で作って、廉価で売りだすソフトウェアは企業のような様々なオーバヘッドがないので、数千円程度の価格でも十分ペイするコスト構造になっているし、需要もそこそこ存在する。
オープンソースソフトウェアも当初はローエンド市場や、インターネットという新市場にこっそりと参入し、企業が提供しない価値を無料で提供していった。企業にとっては、そのような市場は魅力的ではないので放置していた。
オープンソースソフトウェアでは、利用されることによって、新しい利用方法が生れ、バグが発見され修正される。導入コストが無料であることで利用は広がった。
Linuxも当初は趣味のOSであったし、企業が要求する機能をもたないOSであったのだが、無料という究極の価格によって、サポートを必要としない個人や、自らサポートできる技術者によってどんどん利用されるようになった。ローエンド市場の破壊的イノベーションであった。
Linuxの特徴的な事は、その開発がインターネットを媒体としたコミュニティという得体の知れないものが行なっている点である。一企業の戦略とか意志とかにはおかまいなく誰かが意思決定をしてそれを開発しているのではない点である。
ソフトウェア開発における破壊的イノベーションでもある。ソフトウェア工学ではウォータフォールモデルとかオブジェクト指向設計方法とかパターンとか数々のモデルが銀の弾丸として提案されたが、それらは全て持続的イノベーションであった。
ソフトウェア開発モデル的にも当初は数人程度の貢献者からなる小規模開発からはじまり、ソフトウェア開発におけるローエンド市場と言ってもいいかもしれない、いつのまにかに数千人の貢献者を持続的にひきつけるハイエンド市場まで席巻しているのである。
OS市場において、既存のプレイヤーは駆逐されつつある。
情報はフリーになりたがっている。おそらくこの流れは誰にも止められない。誰かが情報を独占しようとしても、他の誰かが同様なものをフリーで提供する。その結果、誰にも独占できないフリーな世界が構築される。
資本主義がフリーな情報流通というチャレンジを受けている。私有財産を認めることにより技術革新を促進するのが資本主義ならば、情報をフリーにすることにより技術確信を促進するのがオープンソースである。
この過激な思想が21世紀の技術革新の一旦を担っているという事が非常に興味深い。
オープンソースが資本主義の破壊的イノベーションである所以である。
どのように資本主義がオープンソース的なものとおりあいをつけるのか。疑問はつきない。
なぜウェブは資本主義を越えるのか
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20070802/278983/




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