MIRACLE
メールサービス申込 ユーザー登録 パートナー情報
お問い合わせ FAQ サイトマップ
MIRACLE LINUXの特長 製品紹介 サービス案内 購入 サポート 技術フォーラム

プロフィール

吉岡 弘隆 - よしおか ひろたか

日本OSS推進フォーラム ステアリングコミッティ委員
OSDL Board of Directorsを歴任
カーネル読書会主宰

2000年6月、ミラクル・リナックスの創業に参加。
95年~98年、米国OracleにてOracle RDBMSの開発をおこなっていた。
98年にNetscapeのソースコード公開(Mozilla)に衝撃をうけ、オープンソースの世界に飛びこみ、ついには会社も立ち上げてしまう。
2008年6月取締役CTOを退任し一プログラマとなった。

ミラクル関連リンク

採用情報

サイト検索

最近のトラックバック

2008年11月

            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

« 2007年10月 | メイン | 2007年12月 »

第82回カーネル読書会のおしらせ

下記のようにカーネル読書会を開催します。

第82回カーネル読書会のおしらせ
日時:12月17日、18時半開場、19時ころ開始
会場:日本SGIホール(恵比寿)
http://www.sgi.co.jp/company_info/map1.html SGI Hall (B1F)
http://www.morganstanley.co.jp/aboutms/map/image/map_e.gif

お題:GRAPE, GRAPE-DR と HPC の将来
発表者: 牧野淳一郎(国立天文台・天文シミュレーションプロジェクト)さん
内容:
これまで、東京大学・国立天文台で開発してきた天文シミュレーション用専用計算機 GRAPE と、それを基礎により応用範囲を広げることを目標に現在開発中の GRAPE-DR の紹介を中心に、国家プロジェクトである次世代スーパーコンピュータープロジェクト等にも触れつつ HPC の将来像について検討したい。

18:30頃、開場(自己紹介、LT(Lightning Talks))
19:00頃、お題開始
20:00頃、お題終了、懇親会場へ移動
20:15頃、懇親会開始

場所は日本SGIホール(恵比寿)ですのでお間違いないように
http://www.sgi.co.jp/company_info/map1.html SGI Hall (B1F)
http://www.morganstanley.co.jp/aboutms/map/image/map_e.gif

開場した後は、だらだらと自己紹介やら小ネタやらをやりますので、時間の許す限り早めに来た方が面白いお話をきけるかもしれません。

懇親会はやっぱ、いつもの銀座ライオン。http://r.gnavi.co.jp/g112600/
5000円程度(学割1000円ポッキリ)
懇親会参加希望の方は懇親会と記してください。また学生さんは、学割希望と明記してください。

登録はいつもの宴会君
http://utage.org/enkai/
宴会コード kernel071217

会場の都合で80名で締切ます。
--------------------------------

下記のブログでは、地球ミュレータの次の開発計画について批判しているが、牧野先生から見た次世代スーパーコンピュータ開発計画についてのコメントをお聞きしたい。

スパコンの戦艦大和「京速計算機」 -- 池田信夫blog
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/7a0b5fd9f33ff6d2be7f8e8255b7007f

コンピュータの「戦艦大和」はもういらない -- 池田信夫blog
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/fd6f41ee4f521ae5adf73b7980c8a26d

セキュリティキャンプ・キャラバン with プログラミング 2007

セキュリティキャンプ・キャラバン with プログラミング 2007って、なんだ?それは、早期IT人材育成プログラムのひとつである。じゃあ早期IT人材育成プログラムってなんだよ、ということなのだが、主に10代から20代前半を対象に次世代のIT産業を担う人材を育成しようという試みである。わたしが審査員をやっているU-20プログラミング・コンテストや、セキュリティキャンプ、未踏ユースなどがそのカテゴリに入ると思う。

セキュリティキャンプは2004年度より毎年開催している若い人を対象としたセキュリティ意識向上のためのプログラムである。特徴はなんと言っても合宿形式、だからキャンプという、だろう。セキュリティのプロによる講義と、実習。

そのキャンプ自身を知っていただくために、全国行脚をするというのがセキュリティキャンプ・キャラバン with プログラミング2007だ。後ろにプログラミングというのが無理矢理(?)くっついているが、これはもちろん、若い人にセキュリティだけではなくて、プログラミングの楽しさ、面白さも知ってもらおうという思いも盛り込んで、セキュリティキャンプ・キャラバンに相乗りしたのである。

わたしも、今回その実行委員に名を連ねていて、次回の大阪にキャラバンする。若い人たちと直接語りあいたい。プログラミングの楽しさを語り合いたいと思う。参加自由なので、大阪界隈の皆さんの多数の参加をお待ちしている。特に10代の皆さん、よろしくお願いします。

http://www.jipdec.jp/camp/caravan/caravan_osaka.html

ニコニコ動画(RC2)への公開について

先日公開した、ソースコードの読み方の講演なのであるが、おかげさまで「はてなブックマーク」の人気エントリ入りしたので大変なアクセスをいただいた。どうもありがとうございます。

ソースコードの読み方(ニコニコ動画(RC2)で公開) -- ユメのチカラのブックマーク ソースコードの読み方(ニコニコ動画(RC2)で公開) -- ユメのチカラ

コメントでニコニコ動画(RC2)ではなくてYouTubeへアップしてほしいというご意見も複数いただいた。コメントありがとうございます。

確かに画像はしょぼいし、ガサゴソ雑音はひろっていて音質は良くない。無駄にオープニングが長い。わたしの顔なんかどうでもよくてプレゼン資料だけを写していればいい。その点、まつもとさんが一秒も画面に登場しない画像の方が、再生したときむしろ見やすかったりするから面白いものである。たとえ家庭用ビデオでも、どーにか話をきけるのである。なにが幸いするかわからない。

などなど、ご批判も多々あるかと思うが、そのご批判をあえて承知した上で、公開しないより公開した方が百倍ましだと考えた。

Release Early, Release Often(素早い公開、頻繁な公開)の精神である。

情報は公開すると進化する。

そのようなパラダイムを信じるものとして、オープンソースはまさにそのような精神を信じるもの達によって進化してきた、たとえ若干品質が悪くても公開しないより、公開した方が絶対よいと考えた。

YouTubeではなくてなぜニコニコ動画(RC2)を選らんだかというと、ひとえに画面にコメントがつけられるというところかと思う。

「あたりまえすぎ」というようなコメントも頂いたが、正にそのようなコメントを頂きたく、わざわざニコニコ動画(RC2)を選らんだのである。

ソースコードの読み方とかトラブルシューティングというのに王道はない。あたり前のことをあたり前に愚直にやる。その意味で「あたりまえすぎ」というコメントは、とりようによってはトゲのあるコメントに聞こえなくもないが、実は、わたしにとっては、してやったり、プレゼンにこめたメッセージの幾許(いくばく)かは確実に伝わったなあとほくそえんだところである。

余談であるが、あたり前のことを続けると特別になるという事は覚えておいても損はない。普通は、あたり前の事をあたり前にやるのが一番難しいのである。(閑話休題)

「ものたりない」というコメントは、もっと濃いバージョンの講演に対する需要があるという事がはっきりあらわれているわけである。

セミナーではアンケートをとるが、それでも、具体的な感想、フィードバックというのは、ほとんどとれないのが実状である。特に厳し目のコメントというのは、日本人はどうも奥ゆかしい(?)のかほとんど得られない。

それをオンラインで得られるというのは大変貴重な事である。

また技術セミナーとかは参加できる人は物理的に限られている。一箇所せいぜい100人である。今回のビデオの再生数は有に1000を越えている。時間と空間を越えて情報を発信できるわけである。

見る人にとっては、画質の問題等たしかに改善すべき点は多々あるが、今まで全然見られなかったものが、見られるようになるという大きなメリットがあり、提供する側にとっては得難いフィードバックを得られるというメリットがある。

双方にとって正にWin-Winの関係である。

ちょっとした試みであるが、今後とも続けていきたいと思う。これをまねする組織や個人がどんどん出てきたら面白いと思う。

ニコニコ動画(RC2)で世界に情報発信(笑)を合言葉にニコニコしよう。


ソースコードの読み方(ニコニコ動画(RC2)で公開) -- ユメのチカラ
http://blog.miraclelinux.com/yume/2007/11/rc2_e981.html

まつもとゆきひろさんの講演(ニコニコ動画(RC2)で公開) -- ユメのチカラ
http://blog.miraclelinux.com/yume/2007/10/post_3663.html

Rubyのまつもとさんの講演をニコニコ動画(RC2)で公開するまで -- ユメのチカラ
http://blog.miraclelinux.com/yume/2007/11/rubyrc2_8c2c.html



ソースコードの読み方(ニコニコ動画(RC2)で公開)

Asianux Road Showで行なった、わたしの講演「Linuxトラブルシューティング、ソースコードの読み方」をニコニコ動画(RC2)で公開します。

まあ、言ってみれば入門編というか基礎編みたいなものです。実践編、実際にコードを見ながら、あれやこれやするようなワークショップが必要かと思うのですが、今回はそこまでは行っていません。

お楽しみください。

まつもとゆきひろさんの講演(ニコニコ動画(RC2)で公開) -- ユメのチカラ
http://blog.miraclelinux.com/yume/2007/10/post_3663.html

Rubyのまつもとさんの講演をニコニコ動画(RC2)で公開するまで -- ユメのチカラ
http://blog.miraclelinux.com/yume/2007/11/rubyrc2_8c2c.html

イベント:トラブルシューティングの手法、ソースコードの読み方 Asianux Road Show  -- ユメのチカラ
http://blog.miraclelinux.com/yume/2007/10/asianux_road_sh_6cff.html

ソースコードの読み方 -- ユメのチカラ
http://blog.miraclelinux.com/yume/2007/08/post_d6bd.html

ウェブ時代をゆく

梅田望夫「ウェブ時代をゆく」を読んだ。

日本社会に足りないビタミンを補給してくれる書籍だ。

いまでこそ、シリコンバレー精神だなんだということが人々の話題にのぼるが、日本になんらかの違和感を持って90年代はじきだされたわたしとしてはかの地から日本を眺めていた時期もあったけど、結局のところやっぱし日本が好きだし日本でどうにかして何かを成し遂げたいと思っていて、その意味でこの「ウェブ時代をゆく」というのは梅田望夫が日本にいる若い世代に日本に足りない何かを必死になって伝えようとしている一冊である。

一時期、シリコンバレーに居たものにとって、梅田望夫のような楽天的な未来を信じる人々というのは、シリコンバレーには特異な人間ではないと言うことを知っている。それは、30代後半あるいは40代になっても現役でバリバリコードを書いている人が珍しくないのと同じくらい珍しくない。

大きな組織にしか大きな仕事ができない社会と、小さな組織あるいは個人にもそのようなチャンスがあり、小さな組織が有機的にからみあって共同で大きな仕事をする社会。極論すれば後者のようななイメージをシリコンバレーという地域は持つ。

ソフトウェアによって社会を変える。ハッカーが持つ精神というのを、日本で言ったら間違いなく笑われる。会議室でそんなことを言ったら頭がおかしいのではないかと思われる。

日本ではそんなことを声高では言わない。Suicaは便利だ。不具合も取りざたされているけど便利だ。いちいち券売機で切符を買う必要がない。そのようなちょっとした便利を実装しているテクノロジーを開発した人は声高にその成果を誇らない。誇ってもいいとわたしは思うのだがそれが日本の社会である。

どちらがいいとか悪いとかの話ではない。

もう少し個人が自立して生きていく方が息苦しくなくていいと思うが、別に誰かにそれを強制するつもりは、わたしはない。

誰もがシリコンバレーに行けるわけではないし、行く必要もないし、日本の社会がそれを真似る必要もない。

しかし、評論家のように日本でできない理由をあげつらってもしょうがないと思う。日本はIT産業が3K職種だなんだなんて言ってもしょうがない。仮にそんな状況があるのなら、それを変えればいい。大げさな話ではなくて自分の周りのちょっとしたことをちょっと変える。

わたしは、おっちょこちょいなもんだから、面白いと思っていることを無邪気にやっていたら、今ここにいる。何かの戦略性があってここにいるわけではない。しかし、若干の自覚を持って、プログラムを作ると言うことに何がしかのこだわりを持って、いまの自分のポジションを作ってきたことも確かだ。

日本と言う地域で、もう少しプログラミングをすることが楽しくて誰かの役に立つという仕組みができればいいなあと思っている。少なくとも、そーゆー社会は実現可能だと思うし、自分でもできる範囲でこつこつとやっていきたいと思っている。

例えば、技術者としてその専門性を伸ばすために、会社の壁を超えて自由に技術的情報を交換できる場としての広い意味でのコミュニティ活動は、最近では大変活発になってきている。東京ではそれこそ毎日のようにいろいろなところで、勉強会だか読書会だか講演だかセミナーが開催されている。自立した技術者であれば、そのような場所に顔を出し、自らの専門性を磨くことに障壁はほとんどない。自覚を持ってそのような交流会に出て刺激をうけ誰かのスタイルを参考にして自分のスタイルにしていける。

かつては大きな組織と言うのが圧倒的に有利であった。今でもそのようなことはいっぱいある。しかし、一方でウェブやオープンソースの時代はその規模の経済性が相対的に低くなってきていることも事実だ。

大企業じゃなければOSの開発に携われないということはない。大企業じゃなければプログラミング言語を開発できないということではない。大企業じゃなければデータベース管理システムを開発できないわけではない。

大企業をシリコンバレーに置き換えてもいい。

シリコンバレーにいなければOSの開発に携われないということではないのだ。

ウェブやオープンソースのおかげで随分世の中は面白くなってきた。

世の中は自分の力で面白くもつまらなくもなるんだよ、それを作っているのは一人一人の個人なんだよという考え、働き方は、若者だけではなく、40代、50代のおじさんたちにも共感できるなにがしかのものをもっている。自分を犠牲にすることはない。いい意味で自分のために自覚を持って働くことが全体の幸福に繋がるようなそのような社会をみんなで作っていきたいなあなどと妄想は膨らむのである。


「ウェブ時代をゆく」いよいよ発売です。 - My Life Between Silicon Valley and Japan
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20071105/p1

新卒プログラマのころ

30代ころで記したとおり、30代の後半は米国OracleでOracle8の開発にどっぷりつかっていた。

日本で就職したころの外資系のソフトウェア開発というのは先に記したとおり、本国で作られたソフトウェア製品の日本語化などが主な仕事で技術的なチャレンジという意味ではいささか物足りないものであった。日本のベンダーに就職した友人などはもっとかっこいい開発をしているのではないかと、隣の芝生は青いと思っていた。

外資系といっても開発はどうせ全部本国(米国)でやっていて日本には全然権限がなくてつまらないというような風説が流れていたのも事実である。それは半分正しくて半分間違いだけど。

それよりか、日本企業の研究所かなんかに勤務して時代の最先端のソフトウェア研究に従事したほうが全然かっこいいと思った時期もなくはなかった。

わたしは日本DEC研究開発センターというのところに新卒で就職したのだが、日本DECという販売会社とは別会社で、米国DEC開発部隊の子会社であった。正直言えば「研究開発センター」という名前から連想して、何か最先端のソフトウェアの「研究」に従事できるのではないかと思っていた。現実は米国製ソフトウェアの日本語化が主な仕事であった。

80年代は第五世代コンピュータとかなんだとかでソフトウェア研究がDECのマシンで行なわれていたのでひょっとしたらその手の研究に従事できるかと思っていたのである。

わたしの入社して最初のプロジェクトは日本語COBOLの開発である。新卒の生意気な盛りのわたしとしては「人工知能」の研究とかではなく、COBOLの開発だとおおおお~とちゃぶ台をひっくり返しそうな雰囲気であったのであるが、今だから言えるが、そのプロジェクトに配属になったおかげでソフトウェア開発のイロハ、エンジニアリングのイロハ、大規模ソフトウェア開発の実践について得がたい経験をさせていただいた。わたしのプログラマの血となり肉となっているのはそのプロジェクトの経験である。

商用プログラミング言語の実装。これはあなたが想像する以上にタフな仕事である。コンパイラのバグというのはあってはならない。言うのは簡単だが行なうのは非常に難しい。

COBOLの言語仕様はCODASYLという委員会が定義しているので、我々実装者はその仕様を文字通り一行一行解釈しながら実装していく。仕様書は自然言語で書かれているので表現があいまい(複数の解釈がある)な場合があるので、それについて一つ一つ解釈を明確化しないといけない。

日本語COBOLについてはJEIDA(今のJEITA)がその仕様を発表していたので、その仕様を実装することになっていた。その仕様は普通の日本語で書かれていて、(形式言語で書かれているわけではないので)、実装定義とか実装依存とかに満ち満ちていた。大人の事情はよくわからないがわたしには妥協の産物としか思えない言語仕様であった。しかし、それを実装するのがわたしの仕事であった。

職業プログラマとしては、自分が神になって自分の言語を創造するという、後にまつもとゆきひろが実践したようなことは全く思いもよらないことであった。少なくともその当時、わたしは実用的なプログラミング言語は委員会で開発されるものだと頑なに信じていた。COBOLもFORTRANも、そしてLispですら委員会で作られていた。その終局の形がAdaという言語であったのだが。

VAX COBOLの開発チームは、COBOLコンパイラに直接手を加えることを良しとしなかった。日本語COBOLのソースコードをプリプロセッサがCOBOLのソースコードに変換し、その後COBOLコンパイラがコンパイルするという方式に固執した。日本のチーム、彼らから見て馬の骨とも知れないチームがVAX COBOLコンパイラをいじくって品質を劣化することを危惧していたからである。それはそれで理解できなくもないが、プリプロセッサだと実装するのが難しい機能も多々ある。しかし、結局はわれわれは実績もなかったのでプリプロセッサ方式を受け入れざるを得なかった。

VAX COBOLのプロジェクトリーダーにはソフトウェア工学のイロハを教えてもらった。デイリービルド、リグレッションテスト、バグ登録、バグ分析、ソースコードレビュー、ソフトウェアインスペクション、などなど。

80年代初頭日本にはまだインターネットというものがなかったが当時のDECには全社的なネットワークがあって、社内のすべてのコンピュータがそれに繋がれていた。物心ついたころからネットワークがある若い人たちには信じられないことかもしれないが、当時のコンピュータというのは単体で使うことが前提でコンピュータをネットワークする事はむしろ例外的なことであった。そして、会社にある文字通りすべてのコンピュータをネットワークで繋いでいる会社は世界中みわたしてみてもDEC以外見当たらなかった。IBMやXeroxも社内ネットワークを持っていたが、IBMはメインフレーム中心でPeer to Peerのネットワークではなかったし、Xerox社内のネットワークを利用できるのは研究所の人間など限られた人たちだけのようだった。

社内の開発部門のネットワークを Engineering Network 略して E-Net などと呼んでいた。そしてE-Netを利用して日々、米国東海岸にいるVAX COBOLチームとメールをやり取りしながら開発を行なっていた。VAX Notesという社内会議システムがあって、情報共有はそのNotesを利用するのが定番であった。

ネットワークはフラットであった。

後にインターネットで実現されるような社会がそこには垣間見られていた。数万人の社員が一つのコミュニティに属していた。

わたしはソフトウェア工学のイロハを学ぶとともにネットワークの可能性に心を躍らしていた。

ソフトウェアをチームで作ること、それもネットワークの向こう側の人を信頼してソフトウェアを作ることの難しさ大変さ、そして楽しさ面白さを経験したのであった。

30代のころ - ユメのチカラ
http://blog.miraclelinux.com/yume/2007/11/30_477c.html

下記に当時の日本語FORTRANの仕様がある。言語仕様の雰囲気を感じ取っていただければ。日本語COBOLの仕様書は発見できなかった。
http://it.jeita.or.jp/document/publica/standard/pdf/JEIDA-42.pdf

第81回カーネル読書会のおしらせ

第81回カーネル読書会のおしらせ
日時:11月19日、18時半開場、19時ころ開始
会場:ミラクル・リナックス、セミナールーム

お題:ストレージエリアネットワークの開発動向とLinux Kernel Summit報告
発表者:藤田智成さん(NTTサイバーソリューション研究所)
概要:ストレージエリアネットワーク技術に関するLinuxの開発状況,及び,9月に開催されたLinux Kernel Summitについて報告する.

18:30頃、開場
19:00頃、お題開始
20:00頃、懇親会開始

場所はいつもの、ミラクル・リナックス社セミナー会場地図
http://www.miraclelinux.com/corp/about/maps_google.html

開場した後は、だらだらと自己紹介やら小ネタやらをやりますので、時間の許す限り早めに来た方が面白いお話をきけるかもしれません。

会場で、ピザとビールの懇親会つき。(予定価格1000円)
懇親会参加希望の方は、懇親会参加と明記してください。

登録はいつもの宴会君
http://utage.org/enkai/
宴会コード kernel071119

会場の都合で35名で締切ます。

ZDNet Japanのインタビュー記事

下記にわたしのインタビュー記事が掲載された。

日中韓の共同開発Linuxで米企業のサポート対象に--ミラクル・リナックス
http://japan.zdnet.com/oss/interview/story/0,3200081876,20360746,00.htm

ミラクル・リナックスでは、それまで「MIRACLE LINUX」という名称で販売していたLinuxディストリビューションを「Asianux」に変更して9月から販売。このAsianuxとは、日中韓で共同で開発するLinuxディストリビューションであり、そのプロジェクト名でもある。

Asianuxの開発の内側をちょっと話している。ご笑覧ください。

30代のころ

日本のIT産業とかの憂鬱を書くとページビューとかブックマークがどどどどっとつくようではあるが、若干趣向を変えて昔話。

よっぱらいオヤジの昔話なんてまっぴらだと言う方はどうぞ次にいっちゃってください。スルーです。

わたしは新卒で世界第二位のコンピュータベンダーの日本法人に就職した。若い人は知らないかと思うが、当時DECという会社があったのである。今はその会社はない。

29歳で結婚して、31歳の時、米国本社へ一年間出向する機会があった。1989年10月のことである。身重の妻と一緒にBoston Logan Airportに降り立ったわたしは不安と期待で胸が一杯だった。出張で何度か来た事はあったが海外生活はもちろん初めてだし、本社で働くということに対する不安と期待が渦巻いていた。

ハロウィーンの季節だ。米国New Hampshire州の紅葉は、それは見事だった。自然が豊かなところである。

オフィスへの初出社。期待に胸を膨らませてSteve Hagan(当時のボス)のブースに行った。Steveが人事的なあれやこれやを説明してくれた後に、じゃあ、メンバーを紹介するよと言ってオフィスを案内してくれた。各ブースのパーティションの壁は日本のそれと違って背の高さほどあるので、いちいちブースに顔を出さないと中で何をしているかはわからない。

こっちのエンジニアはどんな格好をしながら仕事をしているのだろう。どんな風にブースを飾っているのだろう。やはりバリバリのプログラマはTシャツにジーンズで髭茫々という定番の格好だろうか。

そんなことを考えていた。

最初のエンジニアはスーパーマンの格好をしていた。次のエンジニアは魔法使いの老女だ。ともかく思い思いの変な(?)格好をしている。Steveが、わたしのことを紹介してくれるのだが、わたしは口をポカンとあけながら、ともかく、スーパーマンだか魔法使いだかと、Nice to Meet Youとか言いながら握手をした。

な、なんなんだ。ここはなんなんだ。

後にその日はハロウィーンと言って、それぞれが思い思いのコスチュームで楽しむ日だということを知ったのだが、海外赴任生活一日目のオフィス出勤者のわたしにとってはインパクトが強すぎる経験であった。

さすがに毎日スーパーマンではないということを知り、ほっとしたのであるが、それでも、ブースの中でポップコーンを作るやつはいるし、それぞれのブースにはそれぞれ趣向を凝らしたデコレーションがあったりした。

仕事はと言えば、我々が開発した日本語版のソフトウェア製品のコードを本社の製品にマージするという作業で、技術的なチャレンジはそれほどはなかった。当時の外資系のソフトウェア部門の仕事というのは、本社が作ったソフトウェア製品の日本語化というのが主であった。日本語の文字コードを扱えるようにしたり、日本語のメッセージを追加したり、日本語のマニュアルを作ったりという仕事である。

当時はユニバーサルな文字コード(Unicodeみたいなもの)というのがまだ一般的ではなかったので日本語のコードとしてDEC漢字コード(EUCみたいなエンコーディング)などをサポートするように本家のソフトウェアを変更していた。

本家のソフトウェアを変更するので、米国版ソフトウェアと日本語版ソフトウェアと別々にできてしまう。米国版ソフトウェアが完成してから日本語版を作成するので、1)開発コストがかかる、2)出荷の時期が遅くなる、3)出荷してからのメンテナンスが難しい、などなど問題点が多い。

そこで、日本語機能を本家にマージすれば問題は解決するのであるが、処々の事情でなかなか物事は簡単にすすまない。

わたしは入社以来、朝から晩まで日本語化なんて作業をやってきたわけで、それなりに第一人者である。コードを読まなくても現象から実装上の問題点などもだいたい見当がつくし、変更方法についても見通しを持っていた。本家の連中との議論も、そもそも論で言えば、国際化も考えていなくて何がソフトウェアだ、みたいなことを盾にずんずん説得していった。ラフなコンセンサスと動くコードみたいな世界である。

まあ、そんなこんなで、日本語版Rdbを一般化した国際化Rdbのソースコードを持って米国本社に乗り込んだのである。

New Hampshire州 Nashua という片田舎での生活は、まわりには日本人なんかほとんどいないし、それはのんびりしたものであった。冬はアパートの池がすっかり凍ってしまって、子供たちがそこでスケートをしている。会社まで歩いていける距離なので、通勤も楽だ。リスや鴨がうろちょろしている。

米国の生活もハロウィーンから始まって、七面鳥を焼いたり、年末年始のBoston、などなど楽しいものであった。妻は出産のために一足早く帰国したが、初めての米国生活は不慣れなことも多々あったが、結果オーライという感じであった。

その後、DECは業績が悪化し、Rdb部門は競合のOracle社へ部門ごと売却されてしまう。リストラで社内の空気は悪くなっていく一方であった。

日本に戻ったわたしは、日本で開発がどんどん縮小されていく現実とどう向き合うかを考えぬいた。ある意味、残るのも地獄、出るのも地獄の世界である。

日本DECの希望退職制度を利用して日本Oracleに転職したのが94年である。36歳の時である。転職としては、必ずしも若くはないが、かといって遅いと言うわけでもない。

退職時にお世話になった人たちにメールを書くという習慣があるが、わたしもいろいろな人たちにメールをした。その中の一人に初めての海外赴任でお世話になったSteveがいた。Oracleに転職するのだと言ったら大変喜んでくれた。

当時、DECのRdb部門がOracleに売却されたことによって、日本でも日本DECから日本OracleへRdb関連の引継ぎが発生していた。わたしもそのプロジェクトを日本Oracleで手伝うことになった。その引継ぎの会議でRdbについて最もよく知っているのがDEC社員ではなく日本Oracleの新入社員のわたしという奇妙なことになっていた。

まあ、それはともかく、日本Oracleに就職してアライアンスパートナーの支援をしていたところ、米国Oracleの開発チームからお声がかかってOracle8の開発に参加することになった。95年のころである。

会社の中で自分がやってきた仕事がなんらかの理由でなくなったとしよう。工場の移転でもいいし、部門の統廃合でもいい。なんらかの理由で転属ないし配置転換などが求められたとしよう。その時、われわれが取る選択肢は、配置転換を受け入れて会社に残るか転職か。個人的な事情で転勤を伴う配置転換が受け入れられない場合もあるが、ともかく会社に残るか去るかという選択肢である。

自分の専門性、例えばわたしの場合、ソフトウェアの日本語化、国際化などで10年飯を食ってきたわけで、それなりの自負はあったが、それを生かす仕事は今の会社にはないとしよう。その場合、どうするべきか。

もちろん正解はないし、人それぞれの人生である。

自分の専門に拘らず柔軟に対応して別の部門に転属になり、一から勉強しなおす。大きな会社であれば、雇用は確保されるだろうから、自分の得意不得意、好き嫌いはあるかもしれないが、贅沢は言わなければ食っていける。

一方、もう少し、自分の専門分野(ソフトウェアの開発)でやってみたいと考え、別の会社でそれができないか探し転職する。こちらは新しい環境に飛び込むわけだからリスクはあるが、自分のやりたいことに繋がる可能性は高い。

人それぞれ、正解はない。

わたしの場合は、悩みに悩んで結局後者を選んだ。

やはりソフトウェアに未練があった。DECはなんやかんや言ってハードウェアベンダーである。主力はVAXとかAlphaとかのハードウェアであり、Rdbをはじめとするソフトウェアは、おまけであった。典型的な垂直統合型ITベンダであった。

今だからはっきり見えているが80年代に時代は垂直統合型ITベンダ(IBMをその頂点とする)から水平分散型ITベンダ(Intel/Microsoft/Oracleなど)へ大きく舵を切っていたのである。

その当時、漠然としながらもOracleを選んだのは自分の直感であった。Oracleを選んだからといって、米国本社で開発できる保証というのは全くなく、可能性はゼロではないとしても、開発できることすら未知であった。

しかし、自分は自分。自分に素直に向き合った。わたしは、開発をしたい。ソフトウェアを作りたい。その可能性は、今の会社に残るより転職した方が高い。そう考えた。

希望退職制度がその後押しをしてくれた。

その制度のおかげで、DECは人件費を削減でき、Oracleはソフトウェア国際化の専門家を雇用することができたし、わたしは転職することによって自分の専門性を死蔵することなく生かすことができた。

転職はもちろん奇麗事ではない。結果オーライだとしても、その時何かの保証があったわけではない。

しかし、チャレンジしなければ、わたしがOracle8にコードと言う足跡を残すことはなかったことだけは確かだ。

選ぶのはあなただ。チャレンジするのはあなただ。自分の人生を生きるのは会社ではなくあなただ。上司があなたの人生を保証してくれるわけではない。あなた以上に自分の人生を真摯に考える人は世界中いない。

30代後半、自分の足跡を残すために米国Oracleでひたすらコードを書いた。毎日コードを書き、テストをし、デバッグをした自分がいる。その当時の七転八倒は今はなき「シリコンバレー日記」に詳しい。

10年後わたしはここにいる。誰でも自分の行動を正当化する。過去は美化される。思い出は時として理想化され記憶は風化する。

何かをやってみる。そこには今まで見えなかった地平線が見えていた。

オープンソースと言うのに出会う前の30代のわたしの姿である。

こーゆーおっちょこちょいですっとこどっこいの新橋の呑み屋でくだを巻いているオヤジがわたしである。

20代のころ - 未来のいつか/hyoshiokの日記
http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20040909

シリコンバレー日記
http://web.archive.org/web/19981202003332/http://www.best.com/~yoshioka/diary.html
(文字エンコーディングをshift_jisにする)

1997年のこと - シリコンバレー日記
http://web.archive.org/web/19990423115009/www.best.com/~yoshioka/d/98/i980206.html
(文字エンコーディングをshift_jisにする)

若い人に人気のない産業は減衰する - ユメのチカラ
http://blog.miraclelinux.com/yume/2007/11/post_1ab2.html

自分が何をできるか

対案のない批判は単なる床屋談義であり、新橋の飲み屋でやってくれという空気を感じたので、自分のできる事を考えた。

実のところ、新橋の飲み屋で楽しく飲むのは大好きである。飲めば飲むほど饒舌になる。単なるヨッパライのおやじである。ブログなんていうのは所詮世界規模のヨタ話である。閑話休題

まあ、偉い人を批判するのは簡単である。大企業を批判するのも簡単である。あー、すっきりした、という感じである。じゃあ、おまえは、どれだけエライのか。そーゆー感じである。ご説ごもっとも、おっしゃるとおりである。

わたしはコンピュータが好きだ。プログラムを読んだり作ったりすることが好きだ。こーゆー事を書くと、おめー頭おかしいんじゃないか、と思われたりするのだが、昔はそれを口外するのがはばかられた雰囲気があったのかもしれないが、この年になると憶面もなく、そーゆー事を声を大にして言う。別にそーゆーことを声を大にして言っても、誰の迷惑になるわけでもないので、言ってもいいのである。人と違ってもいいのである。

ソースコードを読むのが趣味ですなんていう奴は世界広しと言えど、そうはいないと思っていたら、意外と同好の士は少なくなくて、インターネットのおかげで簡単に、そーゆー人と出逢う事ができてカーネル読書会などという変な会合も80回を数えることができている。

別に産業構造として日本のIT産業に国際競争力がなくてもいいという立場の人もいなくはないが、もちろんわたしはそのような立場をとらない。

なぜか。

日本から、そーゆー産業がなくなってしまうと、わたしの好きなプログラムをする人達がいなくなっちゃって(ここは極論だよ)、カーネル読書会みたいな変な会合が益々ニッチになってしまって、つまらないからだ。

もっと言えば、わたしはカーネル読書会で、OSの話だけではなくて、CPUプロセッサの話とか、キャッシュの話とか、IOバンド幅がどうだとか、RDBMSの上半分と下半分の実装がどうだとか、様々なある意味多くの人にとってどうでもいい、だけどそれを実装している人にとっては非常に重要な文字どおり命を削ってでも一生懸命作るなにものか、そしてそれを作ったその人達と語りあいたい。喜気として技術を技術として語りあいたい。

そのような場を日本という地域で持てれば幸せだと思っている。東京はおかげさまで人口密度も高いので、そーゆー変な人達がいっぱいいて、夜な夜ないろいろな勉強会だかヨタ話だかわからない会合が開催されている。楽しいではないか。

技術を大事にする会社もあれば大事にしない会社もある。それはそれ、これはこれ。

人は食うために仕事をする。これも事実である。

自分がやりたい仕事例えば開発の仕事が、その会社でなければ、どうするか。選択肢は二つ。会社に残って別の仕事をする。もう一つは、その仕事がある会社を探して転職する。

大きな会社ほど、社内にいろいろな機会がある。これも事実である。

小さな会社は、あれもこれもできないから、あれ専門か、これ専門かである。

わたしは、大学を卒業して、米国のハードウェアベンダーの日本法人の研究開発部門に就職した。80年代の前半である。IBMに次ぐ世界第二位の規模の会社であったが今はその会社はない。(20代のころ

ソフトウェア製品を作るのは大変の事はもちろんいっぱいあるけど、それ以上に製品を作るという喜びがあった。ソフトウェアエンジニアリングのイロハを教えてもらった。

その後、いろいろあって日本オラクルに転職し、縁あって米国Oracleへの出向し気がついたら30代後半はせっせとコードを書いていた。

シリコンバレーのソフトウェア企業は間違いなく技術者を大切にする。そのような会社が競争力がある。もちろん、技術にあかるくない、とんがった頭のマネージャもいなくはないが、おたくはおたくとして心地良く生きられる空気がある。

ソフトウェアによって世界を変えてやろうという夢を持ったハッカーがいる。それで一山あててやろうという山師もいる。

で、自分にできることといえば、ソフトウェアの開発が面白い、楽しい、一生の仕事にたる価値のあることだと言うことを地道に伝える努力をすることだと思う。

エライ人に会う機会があったら直接言ってみる。若い人にあったら直接言ってみる。リアルでの機会を見つけて言ってみる。それを愚直に続けることぐらいしかわたしにはできないだろうけど、それをやる。

IPAのエライ人やNTTデータのエライ人に直接会う機会がある僥倖を利用して直接言ってみたいと思う。

IPAフォーラムって実はそーゆー機会を提供してくれたんだよね。実は午後からのセッションに参加して、午前中にそんなセッションがあったということを露知らず、エライ人に、コミュニティーがどうだとか個人を主体とした開発がどうだなんてなんて、ヨタ話を懇親会の場でかましていたのだ。そして、若い人に、あなた達の話をエライ人たちがメモを取りながら聞いていたよ、世の中変わるよ、君たちのコードでという話をしたいたりしたのだ。

エンジニアは文鎮に敬意を - Blog-side

業界の重鎮に対して、我々エンジニアは、敬意を示すべきなんじゃないか。

もちろん、おっしゃるとおりだと思う。そして、あなたの言うとおり、機会をみつけてお話をする努力もしている。

イメージを形にできない人は減衰する - 404 Blog Not Found

ビジョンを語るのは文鎮の仕事じゃない。あなたの仕事である。

ありがとう。精進したいと思う。


 

若い人に人気のない産業は衰退する     http://blog.miraclelinux.com/yume/2007/11/post_1ab2.html

20代のころ -未来のいつか/hyoshiokの日記
http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20040909

若い人に人気のない産業は減衰する

未来をイメージできない産業に人は集まらない。IT産業は人がすべてである。魅力のない産業は減衰する。

IPAフォーラム2007
【討論会】
「学生から見たIT産業」と「IT産業から見た学生」
~IT産業は学生からの人気を回復できるか~
http://www.ipa.go.jp/event/ipaforum2007/program/discussion.html#tou-1

参加者がすごい。業界の重鎮。岡本晋氏(TIS株式会社 代表取締役社長)、浜口友一氏(社団法人情報サービス産業協会 会長、株式会社NTTデータ 取締役相談役)、藤原武平太氏(IPA 理事長)。

当日、このパネルディスカッションに参加していないので、下記の報道で様子を窺うしかないのであるが、「業界の重鎮もたじたじ」だったそうである。

IT業界不人気の理由は? 現役学生が語るそのネガティブイメージ - @IT
http://www.atmarkit.co.jp/news/200710/31/ipa.html

この報道だけでは、なかなかその空気がわからない。IT産業の夢とかビジョンを雄弁に語られたのだろうか。

IT産業のイメージに対して、『岡本氏は「モノをつくっている会社は、イメージがモノで通じている。われわれの業界はモノを作るといってもソフトウェア、もしくはサービスを提供している。目に見えてイメージはわかないかもしれない。インターンなどで実態を見てからもう1度考えていただければいい」と学生を諭した。』と答えているようであるが、業界の重鎮が明確にビジョンを語れなくては困る。

コンピュータシステムによって世界をよりよくしていくのが使命なのではないか。ソフトウェアによって世の中を便利にしたり豊かにしているのではないか。

IT業界はどのような学生を求めているかに対し、『重鎮たちは「コミュニケーション能力に長けている人」(浜口氏)、「チャレンジングで好奇心旺盛な人」(岡本氏)』を挙げたそうであるが、営業だって、企画だって、コミュニケーション能力が必要であろう。IT技術者に専門性は必要ないのか。

業界の重鎮が学生に学生時代には専門を一生懸命勉強してきてくださいと言わなくてどうする。学校の成績がいい学生が実務で使い物にならないとしたら、教育機関にもっと実践的な教育を要求しなくてはいけない。例えば自動車のエンジンを設計する部署に文系の学生が採用されるか。ありえないと思う。機械科なりを卒業した学生が前提であると思う。

OSSのプロジェクトに参加することをわたしは強く勧めるが、学校で基礎を学ぶことは重要だと思う。

というようなことも考えていたのであるが、当日討論会に参加していた、学生さんの日記が下記にある。

IPAフォーラム2007で討論してきた - 東大MOT学生の奮闘記http://d.hatena.ne.jp/itoyosuke/20071101/1193932945

討論会の内容は報道されているよりも、さらに厳しい。

BtoBのビジネスをしている企業の業務が学生から見えにくいのは当然で、見えにくいなりに工夫をしないといけないと思う。でも、パネリストの口ぶりからは見えにくいのは当然のことで問題と感じていないというような雰囲気が伝わってきた。興味を持たなければ、インターンにも来ないだろうに。

ソフトウェアはモノではないからイメージしにくいというのは昔から使われていた言い訳である。先日NHKで放送された、「ポアンカレ予想」の番組は数学というもっと抽象的なものを見事に具体的イメージとして表現していた。プログラミングの楽しさ、面白さをもっと伝える努力がこの業界には圧倒的に足りないのである。問題と感じていないことが問題なのである。

ITを専攻している学生達からは、「就職時にITスキルが問われないのだとしたら、大学でやっていることには何の意味があるのか」という質問が出ていたのだけど、明確な回答はなかったと思う。その人たちは、ちょっとショックを受けていたような気がする。

大手SIベンダーの問題がここに垣間見られる。専門性を必要としない仕事なのか。それを言っちゃあおしまいよという事である。

その流れで、「入社時にITのスキルを問わないというのは、Googleのような企業の方針とは反対であるが、それですばらしいサービスを作ることができるのか」という質問が出たのだけど、「Googleの開発と日本のカスタムメイドなシステムを作るSIerの開発は違うもの。Googleはスモールチームで仕上げるが、日本は製造業的にラインを組んで仕上げるため、いろんな人材が必要になる。」とのこと。単に効率の悪いシステム開発をしているということではないかと思ったのだが、どうなのでしょう。使っている言語も違うだろうし、一概には比べられないかな。

大手SIベンダーからは銀行のオンラインシステムは作れるかもしれないがニコニコ動画とかmixiは絶対作れないということがよく分かる

この業界では、いつも「人材育成」がどうだということが語られるが、失礼ながら業界の重鎮がこの程度の認識だと、この程度の認識の人間しか集まらない。若い人たちに興味を持ってもらうためには、この業界の存在意義、ユメや志、ビジョンを熱く語る人が必要とされている。そして若い人たちがいっぱい就職したいと思う業界にこそ世界のトップノッチの人材が集まるのである。

誰もがまつもとゆきひろにはなれないが、教育と訓練と仕事の経験をつめれば、優れたプログラマにはなれるのである。ユメや志やビジョンを共有できなければモチベーションが続かない。それを語り続ける重鎮が必要なのである。

ブックマークのコメントも参考になる。

ブックマーク:IT業界不人気の理由は? 現役学生が語るそのネガティブイメージ - @IT
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.atmarkit.co.jp/news/200710/31/ipa.html

ブックマーク:IPAフォーラム2007で討論してきた - 東大MOT学生の奮闘記
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/itoyosuke/20071101/1193932945

NHKスペシャル、「100年の難問はなぜ解けたのか~天才数学者 失踪の謎~」
http://www.nhk.or.jp/special/onair/071022.html

Rubyのまつもとさんの講演をニコニコ動画(RC2)で公開するまで

予想通りRubyのまつもとさんの講演のニコニコ動画(RC2)での公開は大好評である。うれしい。とってもうれしい。

まつもとゆきひろさんの講演(ニコニコ動画(RC2)で公開)
http://blog.miraclelinux.com/yume/2007/10/post_3663.html

すぐにブログのネタにしてしまう、わたしもわたしだがせっかくのネタなので惜しまずに公開する。

Asianux Road Showというのは新製品のマーケティングキャンペーン(宣伝活動)なので弊社のマーケが企画運営している。企画会議があって会議室の中で決まる。まあ想定の範囲内である。どこの会社でも似たような(?)ものだと思う。

いつのころかにマーケから相談があって、講演をどうしましょうか、よしおかさん何か一本お願いしますよ、という話になった。特別講演についてはスポンサー企業枠以外に技術ネタで誰かにお願いするというところまではすぐに決まったのだが、では誰にするか。わたしとしては、自分が聞いてみたい人にお願いするという線で、まつもとさん以外ありえないだろうということになる。即決である。

ネクタイ締めている人にも知名度があり技術的にも面白いし何よりエンタープライズでRubyだなんだと旬でもある。思い立ったら吉日でまつもとさんに直談判して無理やり(?)お願いする。実は講演の場所は、ここだけの話、当初は福岡でお願いしていたのだが日程の調整がつかず急遽東京になった。東京の人はラッキーだったが、福岡の皆様ごめんなさい。なんで福岡かというと、それだけで一本ブログが書けるのであるが、長い話をはしょるとRubyは福岡だろう、さすがに松江までは冒険できないけど、という思いである。それはともかく日程の調整もつき東京で講演をしていただくことになる。

当日、多数のご来場をいただき、会場は満員である。うれしい。とってもうれしい。

わたしのしょぼい講演も無事終わり、まつもとさんの登場を控え室で待つだけになる。事務局に聞くと、ビデオは持ってきているが特に撮影の用意はしていないと言っているので、いかんいかん、まつもとさんの講演を撮影しなくては世界的な損失である、と急遽家庭用ビデオで撮影をしてもらうことにする。休み時間を利用して、会場の前の方(前方に向かって左側)にビデオを設置した。ばたばた。どたばたである。危ない危ない。

わたしとしては当初より動画を公開するならYouTubeではなくニコニコ動画(RC2)だろうと思っていたので躊躇なくニコニコ動画(RC2)。問題はサイズがMPEG2で2GBを優に超えるので画質を落として編集しなくてはいけない。わたし自身、全然そっち方面に詳しくないし、そもそも画像編集ソフトなんてものは持ってもいない。YLUG(横浜Linux Users Group)のメーリングリストで聞いたところ宴会仲間が下記のURLを教えてくれた。

ニコニコ動画 まとめWiki エンコード設定
http://nicowiki.com/encode.html

拓かれた世界へ向かっての山田が早速画像編集をしてニコニコ動画(RC2)にアップしたのが10月26日深夜である。

まつもとさんの講演はそれだけで価値があるしそれを会場にいた人だけに占有させるのはもったいない。講師によってはそれを飯の種にしていて公開したくてもできないというの人もいるが、まつもとゆきひろさんはオープンソースの人である。公開の利益不利益を体で理解している。わたしが細かい説明をするまでもなく、「講演をビデオ撮影して公開したいのですが」、「あ、いいですよ」という感じで快諾をいただく。さすがである。素晴らしい。

昨年、梅田望夫さんと対談したときに彼もYouTubeで公開を前提にやっていて、やるなあと思ったものであるが、徐々にそのような人たちが増えてくるとうれしい。

そして10月30日、朝にブログで公開し、あわせてruby-listやmiracle-usersなどのメーリングリストでアナウンスをした。

会社情報 採用情報 個人情報保護方針 商標等取り扱い事項 English
Copyright(c)2000-2006 MIRACLE LINUX CORPORATION. All Rights Reserved.