なぜメリークリスマスが禁句なのか?
1989年年末、わたしは米国ニューハンプシャー州にいた。米国DECのRdb開発チームに出向になっていて、せっせとアジア版Rdbのコードを本体へマージしていた。
日本人で米国ニューハンプシャー州ってどこにあるのか知っている人は少ない。初対面の人となんかでニューハンプシャー州に居たんですよという話になって、ああ私も実はなんてことになると、一気に盛り上がってしまう。マサチューセッツ州の北にある、縦長の州で、米国独立時の13州のうちの一つである。ニューイングランド地方の一つである。紅葉が綺麗だ。
80年代は、日本の産業が実力以上に元気で、米国とは経済摩擦を引き起こしていた。半導体は日本のメーカーがトップ10のうち多くを占めていたし、銀行もぶりぶり言わせていた時期である。日本企業が米国の資産を買いあさっていたバブルのころである。
ニューハンプシャー州のナシュアという田舎町で働いていたころ、会社の帰りに妻とESL(English as a Second Language)という英語を母国語としない人向けの英語教室に通っていた。先生はボランティアで授業料は教科書代程度でめちゃくちゃ安かった。運営費用は税金の補助がでているらしかった。
生徒は、それこそ、世界中の人たちで(英語を母国語としないのだから当たり前と言えば当たり前だ)、ソ連(当時はまだソ連という国があった)、東欧諸国(実はよく覚えていない)、中近東(ヨルダンとか)、中南米、アジアからは、ベトナム、台湾、中国、韓国、日本(わたしたち)、国際色豊かだった。
日本は飛ぶ鳥を落とす勢いだったので、自分達は今から思うと相当傲慢ないやなやつだったかもしれない。
それはともかく、英語という最も基本的なツールを使いこなせなければ生きていけないので皆英語を習うことに必死である。英語に限らず生きていくことに必死である。
教科書を読んだり、いろいろ雑談をしながら英語を学んでいくのであるが、それぞれの国の話とか、なんでここに来ているのかという話を聞くのが楽しかった。
文法のクイズで括弧の中に動詞、三単現、不規則動詞の過去形とか、過去分詞とか複数形とかを入れるとかいうのがあるのだが、はっきり言って中学レベルの英語なので楽勝である。日本人だったらほぼ完璧にできるが、ESLのクラスメートはなかなか難儀している。しかし、文法クイズはからっきしだめでも、自分の意見を英語で言うことにかけてはおくせづどんどんやっていく。わたしたちがもじもじ、あーだこーだ、頭で考えているうちに、がんがん機関銃のように話をする。コミュニケーションスキルは英語力ではないというのを実感した瞬間である。
英語の文法の点数がいくらよくても、話せなければ生きていけない。話して相手に何かを伝えなければ生きていけない。文法がちょっと間違っていようが、不規則動詞の過去形が間違っていようが、それより何より伝えたいコンテンツがあってそれを直接伝えようとすることにまっすぐである。それがチカラになっている。
そのようなスタイルがあるということをわたしはESLで学んだ。
米国という地で、必死に生きている人たちがいっぱいいるということをわたしはESLで学んだ。そして米国はそのような人たちをESLのような草の根でサポートしているということも学んだ。
12月、クラスの誰かが最後の授業でパーティをやろうという話になった。みんなで食べ物を持ち寄ってわいわい楽しもうという話になった。誰かがクリスマスパーティだ~、やろうやろうと言ったところ、ヨルダンから来ていた若い女性(きりりとした美人だった)、わたしはキリスト教徒ではないので、クリスマスパーティには参加できませんときっぱりと言った。その姿は凛々しく清清しかった。
ESLの先生は、クリスマスパーティーをやるつもりはありません、これはYear End Party(忘年会)です、みんなで楽しくやりたいと思いますと、はっきりと宣言した。
ヨルダンの人も立派だが、世界にはいろいろな考えの人がいて、その人たちと相互理解して、みんながハッピーになるにはどうしたらいいのかを実践している本当の意味での国際人であるESLの先生のしなやかな対応が素晴らしいと思った。
日本人が海外の人に向かって、誰彼かまわずメリークリスマスというのは、正直どうかと思う。あまりにも国際感覚に欠けていると思う。
多様性を認める。宗教の違いを認める。その違いを認めた上でみんながハッピーになる方法を考える。クリスマスパーティーではなく忘年会をするという知恵。もちろん全員がキリスト教であれば全く問題はない。だけども、そうじゃない人がいる場合、そのような配慮をするというのも重要だと思う。
その年のYear End Partyは、それぞれがお国料理を持ち寄って、大変楽しいものになった。牧歌的な時代だったのかもしれないが多様性を受け入れようとする懐の深さを米国の社会に見た瞬間でもあった。
ESLという場で学んだことは多い。
Happy Holidays.





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