LL Future
週末LL Futureに行ってきた。朝の10時から夜9時まで11時間の長丁場である。参加するだけでもヘロヘロなのだから裏方の実行委員や発表者の皆様のご苦労は大変なものだろう。感謝。
わたしがこの夏のLLイベントにはじめて参加したのはLL Ring (2006)からで、昨年のLL Sprits(2007)、そして今回のLL Future (2008)というような感じである。
基調講演はPerlのLarry Wallである。Perl 6のお話をするのだけど、言語そのものの拡張機能をビルトインするらしい。うは、Lisp的な。しかし、ふつーの利用者は、言語の文法を拡張したいのだろうか?シンタックスをばりばり変更拡張して、俺様言語を作るというのをふつーの利用者は望んでいるのだろうか。
うーむ。よくわからない。むしろ言語設計者の役割は、様々なプログラミング言語のアイデアを絶妙なバランスで取捨選択して、デフォルトとしてふつーの利用者に提供するのがお仕事なのではないだろうか。
昔のプログラミング言語は会議室で設計された。FORTRANもCOBOLもAdaもLispですら標準化委員会で設計された。LLの場合は、そうではなくて一人あるいは少数のハッカーによってコアが設計された。PythonもPerlもRubyもそうである。
Perlの力はCPANのようなコミュニティが開発した豊富なライブラリにある。言語は、それらの膨大なライブラリによってささえられている。であるとするならば、文法の独自拡張は、そのコミュニティを分断することになるのではないかと思ったりする。つまりXXの機能を利用するためにYYという文法定義が必要で、それが従来のZZとコンフリクトするので素直には利用できない。ライブラリやパッケージでも同様な問題はおきなくはないが、文法は通常一緒なので最悪コピペ的に回避することは不可能ではないが、文法をいじってしまうと、それも簡単ではない。
言語の拡張可能性というのは昔からとりざたされている機能ではあるが、実用的な観点からは大きな?マークである。
動的言語はおおかれすくなかれeval的ななにがしかを持っているので拡張可能性を持っているのだが言語要素そのものを自由に追加、変更できるというのは、バザールモデル的にはあんまりお得ではないような感じがする。
最近は言語仕様についてもバザール的にわいわい開発するモデルが主流になりつつあるので、特にそう思ったりする。
「LLで未来を発明する」パネルディスカッション。参加者はLarry Wall、まつもとゆきひろ、藤田善勝、住井英二郎、ひげぽん。
未来の話はほとんどでてこなくて、かと言って何かびっくりするくらいクレージーな話でもなく凡庸(?)なお話になっていた。問題設定が100年後の未来という事であったので、そんなのわかんねーよというのが普通の感覚なので、10年後の未来とかあるいは6分後の未来とかの方が話が盛り上ったのではないかと思った。
それこそコンピュータアーキテクチャがノイマン型(プログラム内蔵方式のコンピュータ)であるならば、どっかのレベルではメモリという概念が必要になってきて、関数型のOSやらshellを用意したところで、どうしてもC的なレイヤがでてくる。
ふつーの人がプログラミングしないなんていうのは昔から言われているわけで、いまだってふつーの人はプログラミングしない社会である。
そうではなくて今後のコンピュータを作る人がどのようなプログラミングモデルを必要としているのか、ぐらいのことは語ってほしかったぞと強く思ったパネルディスカッションである。
その後、いろいろと興味深いパネルが続くのであるがまじめなセッションよりもコードゴルフとかおなじみのライトニングトークとかの方が楽しめた。
しかし、プログラミング言語のイベントに1000人も集まってしまうなんて異常だ。いったいどーゆー事だ。しかも朝から晩まで11時間も数百人の人達がわいわいがやがや楽しげにやっているなんて、すごいすごい。
日本はじまったな。
11時間にわたる長丁場お疲れさまでした、そしてありがとうございました>参加者の皆さん




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