プログラミングはパッションだ
この夏、セキュリティ&プログラミングキャンプとU-20プログラミングコンテストの実行委員、審査委員をした。若い人達のプログラムに対する姿勢を身近に接っする機会があった。
キャンプは4泊5日の長丁場だし、U-20プログラミングコンテストの審査は一次審査、最終審査それぞれ丸々一日、ずっぽり若者のプログラムにひたりっぱなしであった。体力勝負の感もなくはないが彼等の発想を真のあたりにする大変貴重な機会となった。
プログラミングの技能(テクニック)はおそらく座学でも伝達できる。細い技術的な事は授業することができる。だけど、プログラミングの楽しさや面白さをどう伝えたらばいいのだろう。プログラミング言語の文法を教えることがプログラミングの楽しさを伝えることになるのか、デバッガのコマンドを教えることがプログラミングの面白さを伝えることになるのか。
コンピュータの仕組をしらなければ、プログラミング言語の文法をしらなければプログラミングはできない。最低限の事は知っている必要がある。その上で何を教えるのか。何を共有するのか。
彼等は生まれたときからコンピュータが身近にあった。物心ついたときにはインターネットがあたりまえであった。ディジタル・ネイティブである。空気のようにネットやコンピュータをあやつる。
彼等にわれわれは何を伝えるのか。どのような言葉をわれわれは持っているのだろう。そんなことを考えた。
U-20 プログラミングコンテストに応募された様々な作品を審査したときに考えた。
プログラムは自己表現だ。自分が何かをしたいと強く思うことによって、ハッカーはなにがしかのものを作る。その強い意思、強い思いがあってこその技術力であり表現力である。
確かに中学生(!)、高校生のプログラミングテクニックは、プロの目から見ればまだまだ未熟なものかもしれない。だけど、何物かを作りたいというパッションは誰にも負けない。そのパッションがわれわれの心を揺振る。
技術は教育できるかもしれなが、パッションは教育できない。それは一人一人が自分で獲得していくしかない。
われわれにできることがあるとしたら、そのようなパッションを持っている若いプログラマを発見し、彼等彼女等が思う存分活躍できる場を提供することぐらいだろう。一緒になって、そのフィールドを作っていくことぐらいだ。
技術はコピーできても、パッションはコピーできない。
そのような、あたりまえな事に気がつかせてくれた若いプログラマ志願者に感謝をしたいと思う。




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