取締役退任。生涯一プログラマ宣言。
6月30日臨時株主総会において、ミラクル・リナックス株式会社の新取締役として、児玉崇、伊東達雄を選任し、それに続く、取締役会議により、新しい代表取締役として児玉崇を選任した。佐藤武前代表取締役社長は、取締役会長へ、わたしは取締役を退任した。
ここにご報告する。
さて、ここからが本題(?)である。取締役を退任したからといってミラクル・リナックスを辞めるわけではない。今後は経営者という責任ある立場を退き一技術者としてミラクル・リナックスに貢献していく。
2000年6月にミラクル・リナックスを創業以来8年にわたって取締役CTOとしてミラクル・リナックスとともに歩んできたが、取締役というよりも、技術屋としてミラクル・リナックスのV1.0の開発、OSDL (Open Source Development Lab -- The Linux FOundationの前身)への参画、そしてAsianuxプロジェクトの立ち上げ、さらには未踏ソフトウェア創造事業や日本OSS推進フォーラムのサーバ部会での仕事などが思い出深い。取締役として経営に貢献したというよりも技術屋としての立場だったかと思う。正直言えば、経営者としては力不足であった。
8年前にはLinuxをエンタープライズ分野で利用するなどというのはほとんど冗談のように受けとられていた。誰が氏素姓のわからないフリーソフトウェアを企業の基幹システムに利用するのか。サポートはどうするのか。どのようにスケーラビリティを確保するのか等々。それぞれの課題について一つ一つ解決していったのがこの8年だったと思う。
オープンソースソフトウェアという未開の耕地にビジネスの種を植えた8年であった。
今後は一プログラマとして会社やコミュニティへ貢献していきたい。今年でわたしは50歳になる。いい年したおっさんである。とっとと技術屋なんかは引退してマネージメントの仕事でもしていろよという声も聞く。40代はミラクル・リナックスの取締役としての立場(?)もあったわけだが、それも退任したことだし、50代は、わがままを言って現役のプログラマに戻してもらった。はたしてプログラマとして使いものになるのか、ならないのか、不安がなくもない。この年で新しいことにチャレンジすることの難しさも知らないわけではない。
人生、綺麗事ばかりではない。いいこともあれば悪いこともある。上手くいくこともあれば上手くいかないこともある。成功もあれば失敗もある。家族には苦労をかけて申し分けないと思う。給料も役員報酬がなくなったので減ってしまった。子供の教育費も家のローンもある。
それでもと、思う。人生再チャレンジである。いくつになってもチャレンジである。
潔くない生き方かもしれない。ばたばた足掻いている。この歳でまだプログラマに拘るというのも相当見苦しい。でも、それがわたしなんだよなあと思う。
現在のプロジェクトはMID (Mobile Internet Device)向けのOS開発である。Intel Atomプロセッサ用のOS (Asianux Mobile Midinux)の開発を行なっている。20代の若手エンジニアの隣に座って日々ブートがどうだとかドライバが動くとか動かないとかをやっている。新人プログラマの一人として毎日勉強だ。grubのソースを読んだりsyslinuxのソースを読んで、SSD(Solid State Disk)が認識したとかしなかったとか一喜一憂している日々である。
カーネル読書会も続ける。このペースで開催していけば来年には100回になるだろう。第100回はゲストにLinusを呼びたいと思う。こんな事を言うと多くの人は笑う。だけど言葉にして言う。Linusを呼ぶことは簡単ではないけど不可能ではない。
次の10年自分はどのように生きたいのか。経営者ではなく一エンジニアとして生きいくのが自分の長年のユメであった。
ハッカーになりたい。ソフトウェアによって社会をよい方向へ変えたい。
こんなことを言うと頭がおかしいのじゃないかと言われる。暑苦しく、うざいと思われようとも、そのような人生をおくっていきたい。50代でプログラマを続けることは日本という地域では簡単ではない。そのくらいのことは理解している。道は遠く険しい。だけど、それも不可能ではないとも思う。職業としてのプログラマに誇りを持って生きていきたい。
日本に一人くらい、こんなへんなおやじのプログラマがいてもいいと思う。そういう我儘を許してくれるミラクル・リナックスそして家族には大変感謝している。
これがわたしの生涯一プログラマ宣言である。
皆様のご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします。







最近のコメント